坊主は足取りが軽い
神道を勉強している息子が教えてくれた話です。
坊主は足取りが軽い。
社家は腰が重い。
何のことでしょう。
坊主(ぼうず)=お寺の住職。仏教の僧侶。
社家(しゃけ)=神社の神主。神道の神職。
息子も“社家”なんて言葉を使うあたり、すっかり業界人ですね。
私が野菜の出荷者を“荷主(にぬし)”と呼ぶのと似ています。
その言葉を使うだけで「お前、その筋のもんだな」とばれてしまいます。
今、自動搬送式納骨堂が都会で普及しつつあります。
自動搬送式納骨堂とは、遺骨が参拝スペースまで自動的に運ばれてくる納骨堂のこと。
ダイフクなど物流システム機器メーカーが開発し、都心の大寺院が運営しているようです。
自動立体倉庫からお墓・お骨が運ばれてきて、ウイーンと扉が開いてご先祖様とご対面です。
違和感MAX。
でも利便性も直感的にわかりますね。
こういう、大胆で革新的な試みをするのは、神社ではなく圧倒的に寺だそうです。
つまり、坊主は足取りが軽い。
それはなぜでしょうか。
息子曰く、仏教の世界の方が宗派も多く、統一感がなく、寺は単体で自由が効くのだそうです。そう言われれば、神社の宗派とは馴染みがありません(神道には教派神道13派というのがあるそうですが)。
時代の変化に対応して新しいことに着手するのは仏教の方が盛ん。
もちろん、その人その人の個性によるんでしょうが、息子が俯瞰する限り、そういう傾向が見て取れるそうです。
神道は神様を祀り、そのご加護を受けようとするもの。
仏教は悟りを開き、解脱しようとするもの。生きることは苦しみであり、そこから抜け出すために人は修行をします。
この根本的な違い一つをとっても、仏教の方が能動的に動きそうな感じがします。
非常に浅薄で意味のない考察ですが、話の種にはなりそうです。