私は人から褒め称えられたい欲求があると同時に、人から迷惑がられたくない思いが強い。
だから、人当たりのいい人間になろうとする。
年齢が58歳となり、もうすぐ老人の域に入ることを自覚すると、「いいじじい」になろうと思うようになる。
「老害」と陰口をたたかれたくないのだ。
こう思うのは、自分にとっての「老害」が身の回りに少なからずいることの裏返しだ。
老いて身体能力が低下するのは当然。
記憶力が落ちるのも当然。
判断が遅くなったり、誤ったりするのも当然。
それらは老害とは言わないだろう。
身体的能力、知的能力の低下は別に問題ではないのだ。
問題なのは精神機能だ。
心理や感情、人格といった分野である。
高齢になると多くの人は昔より頑固さが増し、周りに厳しく、自己に無責任になる。
自分の価値観がすべてで、相反するものを受け入れられない。
感情のコントロールが効かなくなる。
老いるに従い自分もそうなるのだと受け止めていれば、それなりに身の処し方や工夫もできると思うが、受け止めること自体ができなくなるので、乱れた感情を周りに八つ当たりすることになる。
これが老害の典型的な姿だ。
他のすべては劣化しているのに自意識(プライド)だけはますます増長するから厄介なのである。
身体機能の低下を防ぐのは日々の生活習慣と運動だ。
知的機能の低下を防ぐのはあくなき向学心と思考の発露(インプットとアウトプット)だ。
そして精神機能の低下を防ぐのは他者との関わり、交流ということらしい。
家族との関係性を良好に保ち、コミュニティへ積極的に参加し、新しい生きがいを創出する。
生きるということは、人と触れ合うことに他ならない。
ああ、私は、誰からも好かれるいいじじいになりたい。