大河ドラマ「麒麟がくる 最終回」レビュー

NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回が2月7日に放映された。

まずは関係者の労をねぎらいたい。

制作側にとって、無事最終回を乗り切ったことは、大いなる達成感と矜持を得られたのではなかろうか。

思い返せば、災難続きの番組だった。

一昨年の11月、帰蝶(濃姫)役の沢尻エリカが麻薬取締法違反で逮捕されたことに端を発し、急遽川口春奈が代役に抜擢され1話目から撮り直し。

このため、初回放映が2週間遅れて1月19日からとなる。

放映がようやく軌道に乗ったと思いきや、新型コロナの感染が日本でも拡大し、撮影中断を余儀なくされる。

2ヶ月以上の撮影中断で6月7日をもって一旦放映を休止、再開したのが3ヶ月も先の8月30日であった。

当初から東京オリンピックの開催中(実際には五輪は開催されなかったが)は放映せず、全44回の物語とする予定であった。

が、途中の放送休止で年内の完結は不可能となり、局は年をまたぐという大河史上初の決断を行った。

一年間以上に渡るスッタモンダを乗り切った。

結果論ではあるが、話を縮め、年内に無理やり終わらせる選択をしなくてよかった。

やはり、物語はきちんと仕上げるのが良いのだ。

日本の歴史上、最大のミステリーの一つ、本能寺の変。

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか。

「麒麟がくる」はそれを「世の中を平らかにするため」とした。

私怨ではない。

信長の超人性に魅了され、この人ならば戦がない世を実現できるのではと心酔するが、信長が暴走は遂に帝に取って代わり将軍を殺そうとするまでに及び、この魔王を葬るのは自分の責務であると覚悟し、挙兵する。

なるほど。

あくまでも武士の大義を守り、平穏な世を希求した人物として明智光秀を描いた。

主役の長谷川博己は、この人物像を誠実に演じ切った。

本能寺の変を決意した心理描写は説得力のあるものだったと思う。

ただ、個人的な見解として、脇役陣には不満が残る。

染谷将太はアッと驚くキャスティングで、従来のステロタイプの信長像とかけ離れたタイプの役者だったが、名前の通り、役を自分の色に染めてよく頑張った。

しかし、彼自身のせいか脚本・演出のせいかはわからねど、明智光秀が命を賭してまで心服した信長のカリスマ性にリアリティがなかった。

言ってしまえば、最後まで“変な人”の域を出なかった。

川口春奈も頑張った。

しかし如何せん実力不足、キャリア不足。

歴史を動かすキーウーマンとしての説得力は出せなかった。

(沢尻エリカは本当にバカなことをした。帰蝶はライフワークになる大きな役だった。)

そしてストーリーについて。

最後、山崎の闘いをまったく描写せず。

光秀はもしかして生存したかもと匂わす終わり方は、ドラマとしては一つの手法かもしれないが、私は不満だ。

大河は主人公の死までを描いて幕を引くのが鉄則だ、と私が勝手に引いている線がある。

以上が思いつくままに感じたことだ。

全体の感想として、役者・スタッフの頑張りが伝わってきてとても好感が持てた。

だが、引き込まれ、夢中にさせられ、どっぷり感情移入してしまうドラマではなかった。

2月14日からは渋沢栄一を描く「青天を衝け」が始まる。

主演・吉沢亮は大抜擢だ。

大河と朝ドラは何といっても日本のドラマの中軸。

大いに期待して見続けたい。