実は私、何が悪いかわかってない

森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長を辞任した。
テレビでもネットでも大炎上だ。
女性蔑視だとダイレクトに問題にする他に「そもそも森氏は何が悪いのかをわかっていない」と非難する論調を多々目にする。

こう書くと私も社会からバッシングされるだろうかと恐れつつも正直に言う。
“実は私、何が悪いのかわからない”。

森氏が、女は話が長げ~んだよな、と言った。
そこから、五輪開催の是非にまで話が及んでいる。
飛躍のしすぎだ。

女は話が長いと言った⇒大会委員長は女性蔑視者だ⇒そんな五輪は開催すべきでない
 この三段論法(なのかこれは?)、危ないだろう。
東京オリンピック=森喜朗 !?
そんなあほな。

もし対象が特定の民族であったり、障害者であったり、マイノリティーであったならば一発アウトだ。
だが相手はざっくり“女性”である。
女性は全世界に38億人いる。

森喜朗氏の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言で、耐えがたい屈辱感、被差別感を受けたのは誰なのか。
多分、誰もいない。
森喜朗め、相変わらず偏った見方してんな、とせいぜい鼻白んで終わる話だ。

聖火ランナーやボランティアを辞退?
これも理解できん。
辞退者は、委員長がイメージのいい人に替わったら辞退を取り消そうとするのだろうか。
もし辞退取り消しが認められなければ「それも森のせいだ」と怒るのだろうか。

せめて、発言の全文をちゃんと読み、森氏のこれまでの業績を理解し、無報酬でやってきたこと等の善行も知った上で非難するのが公の場で攻め込む側の作法だろう。

テレビで、目を吊り上げて糾弾するコメンテーターと見ると怖くなる。
何が何でも徹底的につぶしてやろうという狂気を感じる。
過剰反応も社会に害をなす。

では、森喜朗に問題はなく、悪いのはマスコミだけか、というとそれも違う。。
森喜朗は悪い。
発言の内容そのものでなく、“はずした”ことが問題だ。
森氏はリップサービスで、場の笑いを取ろうとしたのだろう。
つまり、ジョーク!だ。

しかし、完全にすべった。
森さん、いや、そういうの全然笑えないです、ユーモアになってませんから、ということだ。
ユーモアの感性と状況判断能力が劣化していると指摘せざるを得ない。
だから、公的に登場する表看板としては退くのは妥当と思う。
(もっとも、今回の問題発言は公的な場で発したものではないので、言わばリークを元にここまで追い詰めるというのはやはり行き過ぎと感じる。)

この大バッシングの中、会長職を続けることはできず、森喜朗氏は辞任してしまった。
闘病生活をおしてまで無報酬で貢献してきた森氏の功績は大きい。
私は、人物が晩節を汚す姿を見るのが嫌だ。

最後に、私の中の記録として、森喜朗の過去の問題発言を挙げておく。
コメントをした時の立場や状況を鑑みて、それでも流石に非難されるべきは③。
逆にその他は、私としては問題意識はあまり感じない。

①2000年“日本は天皇を中心とする神の国であるぞ”
②2000年(選挙に関心がない人は)“寝てしまってくれればそれでいい”
③2003年“子どもを一人もつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい”
④2014年(浅田真央に)“あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね”
⑤2016年“国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない”