映画「いのちの停車場」:レビュー

金沢が舞台の話題の大作

 号泣必至と前評判が高い本映画は、私が住む街・金沢が舞台である。主演 吉永小百合、助演が松坂桃李、広瀬すず、西田敏行
他。ご当地映画で豪華キャストとあって、こちらでは連日、テレビや新聞で大きく宣伝されている。評判はすこぶる良しと聞こえてきて、今年の日本アカデミー賞最有力ではと観る前から期待を膨らませて鑑賞した。

違和感ありまくり

 だが結果は、違和感ありまくりの残念な映画だった。映画でありフィクションである以上、リアリティをうるさく言うつもりはない。しかしそれにも程度がある。原作どおりの筋書きもあろうが、以下観ていて気になった点をピックアップする。
・吉永小百合と田中泯の親子設定に無理あり
・役者が金沢弁を使わず、芝居にご当地感が出ていない
・車内からの景色は昔風のチープなはめ込み処理
・車いすのくせに料理屋の2Fに上がって食事とは?
・石田ゆり子、たかが10歳時の記憶を元に訪ねて来る?
・柳葉敏郎は肉付き良く、末期すい臓がんに見えず
・松坂桃李、呼び方確かめもせず突如「おやじ!」は変
・伊勢谷友介が気になり、前後の話が頭に入らず
・ベンツ売って札束ドンは漫画チックで非現実的
・小児がんの子を背負って海で泳くのはやめてくれ
・小池栄子は結局どういう役回りだったのか意味不明
・主人公が診療所を去ったら多くの患者達が路頭に迷うぞ

始めに吉永小百合ありき

 この映画は、どうしても吉永小百合を使わなければならなかったのか。原作では主人公は60歳そこそこの設定だ。吉永小百合は実年齢より十分若々しいとはいえ、この映画の違和感の根本的な原因はキャスティングにあるように思う。演劇舞台なら全然OKだが、映画は実年齢とのギャップがどうしても浮き彫りになる。

医者の死に対する倫理観とは

 最後、主人公はどちらを選択したのだろう。映画ではそこは明かさず、視る者の想像に任せる。少なくとも、現実の世界では医師は患者に安楽死を施すことはない(2019年の京都ALS患者嘱託事件という特異なケースを例外として)。しかし、自分の肉親が、耐えがたい苦痛を感じるとしたら、医師は一人の人間としてどう考えるのか。これは極めて重いテーマである。しかし、(大女優に対して失礼な評価かもしれないが、)吉永小百合は私の目には終始「医師」には見えなかった。大切な人の安楽死の是非を問う深淵なテーマを観る者につきつけたとは言い難い。よってこの作品は、上に列記した違和感ばかりが目立つ映画となった。