政治とは施策を作り、説明し、実行することなり
友人の松本尚君が秋の総選挙に出馬する(4月22日のブログで報告済み)。彼の政治信条を書いたパンフレットが送られてきたので読んだ。以下はその抜粋である。
政治についての松本君の考え
(コロナ禍の政策に対して国民が評価していない実態があることについて)その理由は、かかる危機的状況下での「説明」が十分でないからだと推測します。(中略)為政者がその政策を確実に行おうとすれば国民への政策意図の説明は不可欠です。医療の世界では患者やその家族への「説明と同意」がこの30年で常識となりました。政治の世界でも同様に、個々の政策に対して、特に非常時においては国民に対して理解しやすく十分に説明を行うことが肝要なのです。前述の政治の定義に立ち返れば、「社会秩序を維持するために施策を作り、説明し、実行すること」となるでしょう。今の政治に欠けているのはこの「説明力」なのです。
医療における説明責任
医療では、確かに昔より医師が丁寧に説明するようになった。端的な例では癌患者に対し、そのステージが何であろうと本人にしっかり告知するようになった。昔は、死ぬ直前まで本人に癌であることを伏せておくのが常識だった。今は必ず説明がある。それはすべての説明責任を果たすことが医師の保身につながるという側面もあるだろう。だが、罹患者にとっても、治癒の可能性や余命といった、時に残酷な現実と向き合うことは、結果的に自分の〝生〟を全うする上では極めて大切なことである。
会社、家庭にもあてはまる
今の政権、過去の政権を振り返るに、まことに説明責任を果たしていない。立派な政策、必要な決断をたくさんしているにも関わらず、説明が不十分であるために不誠実なイメージを与える。政治家は国民に向けて話すのが仕事のはずなのに、極めて嘆かわしいことである。そして敷衍すれば、説明不足は政治の世界に限らず、会社においても家族内においてもあてはまることである。私自身に照らして考え、自分の行動を見直そうと思った。