東京パラリンピック総括

9月5日閉幕

 東京パラリンピックが5日に閉幕した。162の国と地域、約4400人の選手が参加した。13日間で22競技、539種目が実施され、日本は金13、銀15、銅23のメダルを獲得した。五輪からパラへ。開催か中止かで日本中が揉めに揉めた。総括して感じるところを述べる。

感動というより〝驚愕〟

 「感動ポルノ」という言葉がある。障害者のがんばる姿が健常者に感動を与えるための消費物となることを批判する言葉だ。パラリンピックがこうした偽善の世界であってはいけなかった。実際、様々な競技を観てどう感じたか。これはもう、ただただ〝驚愕〟の連続であった。例えば車いすバスケットの激しさやテクニック凄さは、漫画「リアル」で学習済みだったはずだが、現実ははるかにイメージを超えていた。 ボッチャでは、正確無比な投球で見せる冷静さと、それが決まった時に思わず発せられる雄叫びのコントラストが面白く、杉村英孝選手の格好良さはまさにアスリートのものだった。 健常者競技よりも記録が良くなる可能性を秘めた技術の進歩にも興奮させられた。走り幅跳びのマルクス・レームの自己ベストは東京五輪の優勝記録よりも良い。今後、義足の技術はますます発達し、反発性能がさらに上がってオリンピックより記録が伸びるだろう。道具の制約など一切取り外し、行くところまで行く競技を作るのも面白い。それも人類の可能性を追求する試みだ。

不平等を受け止めた先の平等

 パラリンピックを通じ、人は不平等であることを改めて思い知らせされる。だが、その不平等を受け止めた上で、平等に競争する場を提供するのもまたパラリンピックである。障害の度合いを数値化して、線引きをしながら種目を設定する。そこには片足のない人、両足のない人、片手がない人、両手がな人が混在する。平等なわけがない。だが選手はみなそんな不平等を受け止めた上で競技に参加している。そこには勝ち負けを超えたスポーツマンシップが芽生えていた。 車いすラグビーでは男女混合にすれば、チームの持ち点で優遇される。これも素晴らしいアイディアだ。差別ではなく、能力差を受け止めたうえでルールに反映させる。これで競技の幅が広がることになる。不平等や差別は、むしろ平等の源となる。ユニバーサルリレーも様々な障害や性差を同じ競技の場に盛り込む。アイディアさえあれば、いくらでも楽しい世界は創出できるということだ。

共生の在り方

 パラリンピックは障害者と健常者が共生する社会の無限の可能性を示唆してくれた。今回、トラック競技やマラソンで活躍したガイドランナーの格好良さにはしびれてしまった。自身も強靭な肉体と身体能力を持たねばならぬと同時に、障碍者をサポートする様々な配慮や技術が必要だ。五輪でも選手を支える〝チーム〟の重要性はよく見て取れたが、パラのサポートは競技者の一部と言ってよい。 NHKの放送では、解説者やゲストにも障害者を起用した。観る側、感じる側にも多様性を持ち込むことで今までにない視点や関心が現れ、非常に新鮮であった。

スリーアギトス

 パラリンピックのシンボルマークは「スリーアギトス」だ。「アギトス」はラテン語で「私は動く」。あきらめずに前進する意思を示す。奇しくも、金沢市中央卸売市場のロゴマークはこのスリーアギトスに似ている。我々市場人も、パラの精神にならってあきらめずに前進を続けなければならない。

是非と意義

 パラリンピックが無事に開催できたことは本当に良かった。大会は成功であったと思う。五輪も素晴らしかったが、東京大会の開催意義はパラにこそあった。やってよかったというレベルではなく、パラは開かねばならないものだった。IPCのパーソンズ会長はパラリンピックを「地球上で最も変革を起こす力のあるスポーツイベントだ」とアピールした。アフガニスタンの選手2名の参加を実現させたことは後世に渡り称賛されるだろう。 一方で、パラリンピックの選手、関係者の約800人にコロナ陽性者が出たという負の一面もあった。これは確かに大きな問題かもしれない。しかし、参加者全員に輝きを与え、それを観る世界中の人々に多様性、調和、共生、平和を考える機会を与えた。そのプラスの方がマイナスよりもはるかに大きいと信じる。 新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京大会は、オリンピック(7月23日~8月8日)、パラリンピック(8月24日~9月5日)ともに日程を終えた。