謎の出荷者
バカバカしい騒動の顛末だ。昨日夕方、柿数十個が入った箱一個が当市場に委託で持ち込まれた。出荷者は初めてらしく、伝票には氏名が手書きで記載されていたが、住所も電話番号も書かれてない。わかるのは名前「田中一郎(仮名)」のみ。誰も知らない。箱にはメモが入っていて「売れた代金は寄付してください」とあった。
300円の柿一箱
本来、身元のはっきりしない人の出荷は受け付けてはならない。荷受けした当社社員は問題だった。しかも商品はそのまま翌朝のせりで販売されてしまった。品質的にはあまり良くない品で、せり価格は300円(1箱で)という安値だった。
疑念が首をもたげる
ここまで進んでようやく私に相談が来た。メモに寄付とありますが、どう処理しますか、と。代金300円、手数料さっぴくと229円だ。わずかな額だが荷主さんのお金であり、うちが勝手にチャリンと寄付するのは変じゃないか。…あれこれ考えているうちに全く違う方向に心配になってきた。わざわざ中央市場に柿を1ケースだけ持ち込んできたことが不可解だ。市場流通に未知な人にとって、委託出荷は精神的ハードルが結構高い。しかも金はいらない、寄付してくれ。つまり集金には来ませんよということで、我々がこの〝田中一郎〟さんに会うことはもうない。
ミステリーの始まり
極端な話、〝田中一郎〟さんは実在しないかもしれない。もし…もしも…、〝田中一郎〟さんが凶悪な愉快犯で、柿には実は注射針で毒が仕込まれており、食べた人が死に至るとしたら…。荷を受けたうちの社員が覚えていない限り、事件は迷宮入りする。わが社は得体のしれない商品を荷受けし販売した責任を問われ、下手すれば企業として存続できなくなる。そう考えがめぐり、商品を回収すべきでないかと所在を確認した。しかし柿は仲卸が買い受けた後、他の商品と合わさって市場外に出てしまっていた。万事休す。TV、新聞の取材のフラッシュがたかれる中、頭を垂れて謝罪する自分の姿が目に映る。たかが300円のせりで、我が人生もここまでとなるか。
事の真相
しかし幸いにしてテロリストによる無差別殺人は現実化しなかった。荷を受けたうちの社員は夜勤で日中は寝ているが、電話で叩き起こし、もう一度よく思い出してもらう。「そう言えば、ちょくちょく市場に買い出しに来る、(その方の容姿の説明)…のおじさんが持ってきたな。自分が作った柿じゃなくて、近隣の農家さんに頼まれてきたんだと言ってた」。その容姿説明を聞いて、何人か当たりがついた。電話して確認する。ヒットした。「ああ、それ、わしや。在所の田中さんに頼まれた。300円つけばいいとこだねと言ってたんでドンピシャやね。わしが今度集金して、在所の公民館の赤い羽根募金に入れることになってる」。
顛末
なんだ、メモは市場に対してのメッセージでなく、買い出しのおじさんにことづけたものじゃないか。勝手にコンビニの募金箱にチャリンしないで良かった…、とのんきなことを言えるまでにホッとした。買い出しのおじさんには、今後はちゃんと身元がはっきりするような出荷の仕方をするよう、お願いした。
旧式のやり方と現代社会とのギャップ
わずか300円の商品を巡って、私と総務部長と販売担当が右往左往した。時間にして1時間30分ほど費やした。疲れた。荷受け・販売スタイルが旧式のままなのに、社会の不穏さが増している。社会的責任も増している。そのギャップが広がっていることが問題だ。かといって、荷受けとせりに必要以上に厳密なチェック体制(機械センサーやら身分認証やら)を求めるのも非現実的だ。バカバカしい話だが、意外にあれこれと感がさせられる材料ではあった。