手段を選ばず勝つことは正義なのか

勝てば官軍?

 「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。道理はどうあれ、勝った方が正義になるという意味だ。事実、古い歴史は自己の正当性を示すために為政者目線で作り上げられてきた。私の予感だが、このことわざは2022年のキーワードだ。現代でもそれがまかり通るのかを問い直すという意味で。価値観は戊辰戦争の時代とは大きく変化した。大義なき勝利はいずれ敗北に通じる。その道徳観を心に刻みつけることが現代人に必須なのではないか。

正義の精神

 現代ネット社会は、あらゆる不正が隠しきれない。もし発覚すれば数倍の不信感と社会的制裁が身に襲いかかる。常に何者かが目を光らせている時代だ。たとえ正義に身をまとっても、一方でアンチがはびこり、言われのない誹謗中傷を受けることもある。その危機を乗り越えるのもまた、常日頃から自分自身に課している正々堂々の精神だ。

知事選も大義を胸に

 身近な話題になるが、今春の石川県知事選挙はどうなるだろうか。日頃からお世話になってきた先生方が、相容れず並び立とうとしている。周囲はやれ分裂だ、やれしこりが残ると騒がしい。穏便に収めようと色々工作もする。だが根本はどうか。首長を県民が選ぶ選挙である。吾こそはと思う立候補者が、正々堂々、県民に政策を訴えればよい。それを周囲が横からこちらが先だ、そちらは降りろなど、本末転倒だ。しこりが残るかどうかは当人次第で、すんなりノーサイドかもしれない。(ただ、現行の選挙制度では立候補する際に議員辞職しなければならないのはリスクができすぎる。なんとかならんものかなと思う。)