修身数え唄その一
自分で勝手に作っている「修身数え唄」のその一は「ひとつ、人との触れ合いが何より大切」である。〝人と接することが人生にとって一番大事なことなんだ〟という私の価値観は、何か具体的で確固たる根拠や経験があるわけでなく、なんとなくそう思ってきただけだ。ところが最近、聖徳太子についての記述を読む機会があり、思わず膝を打った。
十七条憲法の第一条
古来から日本人が大切にしてきた倫理であって、大陸からの伝来でない日本固有の価値観、それが「和」である。ならばこそ聖徳太子は十七条憲法の第一条に「和をもって貴しとなす」をもってきた。これは私の「修身数え唄・第一」そのものではないか!私は今後、畏れ多くも自分の前世を聖徳太子であるとしよう。忘れないよう、十七条憲法の第一の原文、書き下し文、意訳を記録する。
原文
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
書き下し文
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
意訳
(インターネット上)和を尊重し、争わないことを宗旨(主義)としろ。人は皆、党派を作るし、(物事の)熟達者は(常に)少ない。そのため君主や父親に従わなかったり、近隣と考えが相違したりもする。しかし、上の者も和やかに、下の者も睦まじく、物事を議論して内容を整えていけば、自然と物事の道理に適うようになるし、何事も成し遂げられるようになる。
(井沢元彦「逆説の日本史」より)和こそ何よりも貴い。むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。