ワクチン3回目と社会サービス

FFF

 昨日、新型コロナワクチン3回目の接種を行った。ファイザー、ファイザー、ファイザーのFFFだった。3回目は多くの人が副作用に悩まされるが、私は打った左腕の肩が少し痛むぐらいでごくごく軽いものだった。巷で早くも4回目接種の話題が出ている。この狂想曲はいったいいつまで続くのだろうか。

差別の恐れありか

 いろいろなサービスで、ワクチン接種証明書を示さねばならないものがある。ワクチンを打った証明がないと、受けられないサービスがあるということだ。これは差別にならないのか気になる。ワクチン接種は義務ではない。個人の主義や健康問題で確信的に打たない人は数多く、そしてそれは決して悪いことではない。ワクチンを打ったならば、コロナにはかからない(正確には、感染しにくく、仮に感染しても重症化しにくい、というのがワクチンの現時点で認められている効果だと理解している)のだから、別に未接種者と同席しても被害を被るわけではない。対して未接種者は、イベント等で感染リスクが高まるものの、それは接種をしなかった自己責任ということで納得がいく。なのにサービスそのものを享受する権利を剥奪されるというのはいかがなものか。

非難されたくないから?

 自己責任か社会的責任か。コロナは常にこの問題を突きつけてくる。制度を決める側がいつも揶揄されるのは、〝世間と同調しなければ万が一の時に大きく非難される恐れがあるから〟というものだ。そこには原則論というものはあまりない。前例主義と右へ倣えがあるのみだ。