書評:女帝 小池百合子

書評:女帝 小池百合子
著者:石井妙子
出版社:文芸春秋

まず、この本のタイトルは内容に合っていない。
この本は暴露本というべきか、告発本というべきか。
とにかく、小池百合子を徹底的に叩くことを意図した本である。
小池百合子という政治家がいかに嘘にまみれた人生を歩み、都知事の座までのし上がってきたかを描いている。

この書にある数々の小池の所業が“真実”であるならば、これはもう完全にアウト。
詐欺罪、刑事告訴ものだ。

本は早川氏(仮名)の登場と告白から始まる。
この早川氏の存在がこの書のオリジナリティであり、小池問題の核心だ。
逆に言えば、早川氏以外の記述は他のライターでも簡単に書ける歴史の羅列である。

以下、この本にある小池百合子の“真の姿“である。

・無名の彼女が世に出るための売り物は、カイロへの留学体験とカイロ大学卒の学歴。
・無償の愛といものを知らない人。誰にも気を許さない。友もいない。同志もいない。人間関係が希薄で長続きしない。
・「トルコ風呂」の名が消え、「ソープランド」となったのは彼女の功績。
・自身の性格は男性的。女性蔑視ですらある。男社会と対峙するのではなく、寄り添うのがスタイル。男社会の紅一点としてもてはやされることを何よりも好む精神構造。男性たちにあがめられる存在、女にしておくには惜しいと言われる女、男を魅了しつつ男たちに頼られ、尊敬され、恐れらるるリーダー、屈強な男たちを率いる優秀でエレガントな女、それが彼女の求める自己イメージであり、理想だった。
・虚業に疑問を抱かない。何をやりたい、というものはない。ただ注目されればいい。だからキャスターから政治家に転身した。
・都議会を制圧した。だが彼女には都政でやりたいことなど、ひとつもなかったのだ。求めたものは新たな敵と新たな戦場。戦場でしかヒロインになれないと知っていた。
・本当の自分を晒しちゃいけない、嘘をつかないと逆に周囲を戸惑わせてしまうという価値観。嘘をついている感覚すらないのかもしれない。
・応援してくれた旧選挙区の支持者の訪問に対し、マニキュアを塗りながら話を聞き,塗り終わったら“もう,マニキュア塗り終わったから帰ってくれます。私,選挙区変わったし”。

私自身、学歴詐称の経験がある。
ただし、嘘を付いたのは親、姉など当時の家族に対してのみ。
大学を中退したのに卒業したことにしていたのである。
嘘の連鎖で、就職先についても偽りの会社名を報告をしていた。
ただただ、言えなかったのである。意気地なしで卑怯者だったのである。
ずるずる時間が過ぎ、ますます言えなくなってしまった。
正月などに帰省するのが一番の苦痛だった。
その間は苦しかった。
私は自分の小心ぶりを心底思い知った。
だから、真相がバレて、すべて白状して、ごめんなさいをした時、内心ではほっとしていた。
正直、気が楽になった。
私の場合、親以外にはありのままの姿をさらしていたので、世間的にはやましさを感じる必要がなかったのは幸いした。

そこで小池百合子氏である。

ここまでウソをついたらもう引き戻れない。
もしカイロ大学首席卒業が嘘八百であるならば、彼女の人生はほぼアウトである。
破滅へのストーリーとなる。
そして、ここまで公にされた以上、今まで小池氏をそれこそ“女帝的“に崇めていたマスメディアは責任をもって徹底的に検証すべきである。
仮に学歴詐称が真実だとしても、政治家として有能であるならば今さら昔のことをとやかくほじくり返す必要なない、との理屈は通るか。
通らない。
ことは大権力者、東京都知事の履歴問題なのだから。
小池百合子の去就と同時に、これは日本のジャーナリズムの存在価値を問われる事象でもある。