介護施設に伯母を送る

今日、会社を途中抜けさせてもらい、伯母(私の父の姉)の介護施設への入所に付き添った。
伯母は永年一人暮らし。
息子さん(わたしにとってはいとこ)は都会で医師をしており、本来なら当然彼が付き添うところ、施設側は「都会、ましてや医療従事者は、来ていただくわけにはいかない。コロナ感染で万が一があると取り返しがつかない。大変申し訳ないが引率はご遠慮いただく」と言ってきた。
妥当な処置だとは思う。

そこで、代理としていとこの私、それと伯母とは生け花教室で日頃から仲良くしている私の妻が付き添うことになったのだ。

伯母は当初、施設入所は頑として拒絶していたらしい。
昔から本当に頭の良い人で、何でも一人でこなす。
90歳を優に超えるのに足は達者でスタスタ歩き回る。
だから自分は大丈夫!とのプライドもあったのだろう。
施設に入るくらいならいっそ死んだほうが・・・とまで言って拒んでいたらしい。

しかし、だいぶ前から耳が不自由になった。
左右とも今ではまったく聞こえない。
だから筆談でなければ意思疎通ができない。
電話をかけても気がつかないし、そもそも会話が聞こえない。
直接住まいを訪ねて、ピンポンしてもわからない。

だから、永年、コミュニケーションはファックスか電子メールだった。
ところが、高齢には敵わず、だんだん機械の扱いができなくなった。
ファックスやメールを送っても返事が来ないのが当たり前になってきた。

こうなると、無事でいるのかどうかさえ怪しくなってくる。
週に1、2度ヘルパーさんが通ってくるのが唯一の無事の確認手段だった。
一人暮らしは限界を超えている。施設への入所は、何年もかけて息子さんが説得し続け、ようやく納得した次第だった。

そして今日。
伯母は施設に着くなり「ここで死ぬまでおらんなん」と言った。
もう一人暮らしはできない、という自覚はしっかりされていた。
ただ、今日入ってしまうと、しばらく外へは出られないとは思っていなかったようだ。

「マンションが散らかっているから、戻って掃除しなくては」としきりに気にした。
その都度筆談で「いや、しばらくは戻れないよ」と言うと「あらー」とショックを受けている様子だった。
今日は下見かなにかのつもりだったか。
いきなり連れてこられてもう家には戻れないよと宣告されたら、私だったらどんな気持ちになったろうか。
それを想像すると胸が締め付けられた。

伯母は今日、最初から最後まで私たちには優しかった。
「忙しいのにごめんね」
「ありがとうね」
私たちに何十回この言葉を言ったろうか。

この日、悲哀の感情でいっぱいになったのは事実。
でも、それ以上に、良かったこれでひと安心、という思いが強いのも正直なところだ。

とにかく新しい生活環境に慣れてほしい。
できれば、「ああ、こっちの方がずっと楽チン」と思うようになってくれたら。
そして心寂しくない余生を送ってもらえたら思う。