電気製品にも魂が宿るか

愛用していたBluetoothのワイヤレスイヤフォンが一週間ほど前になくなった。
そのうちみつかるだろうと思っていたが出てこない。
ランニングやウエート、長唄、端唄の練習には必需品だったので、仕方なく電気屋で新しいのを買った。

新しく買ったのは左右が別々に独立したタイプである。
小さいのが2個になった分、さらになくなりやすいかもしれないが、一度使ってみたかった。
税込8000円超と結構な価格だった。

翌日早朝4時、出勤時。
会社に着く直前、朝飯を買いにコンビニに寄った。
おにぎりとコーヒーを買って車に戻った。

ふと何かが車の近くに落ちているのが目に入った。
最初、紐かと思った。
何気なくかがんでみて目を疑った。

なくしたイヤフォンである。
拾い上げてよく見てみる。
絶対に間違いない。
これは一週間前に紛失したやつだ。

なくしたと思っていたのが勘違いで、実は車のドア近くに落ちていて、今知らずに蹴り出した、というわけではない。
耳にはめる機械部分が見事にぶっ潰れているからだ。
ゴムでできたコード部分も何日か風雨にさらされた汚れが見える。

こいつは一週間前に私が気付かずにこの場所に落とし、その後何度も何度も車に踏み潰され、ずっと掃除もされずにここに転がされていたのだ。
そして、一週間後、偶然またこの場所に停車した私に発見された。
それ以外考えられない。
不思議なことである。

もし、このイヤフォンに心があるならば、私に対しては恨みがあるか、それとも、見つけてほしい願いが叶って喜んでいるか。
いずれにせよ、こやつにも意思があるのではないか、と思わせる出来ごとだった。

そもそも日本には万物に八百万の神が宿るという信仰がある。
アニミズムだ。
だがそれは基本的には自然のものか、人間の想いが込められたものというイメージがある。
大量生産で機械的に作られた電化製品にまで魂が宿るのか。
ピンとこない。

しかし半年前、日産セレナと急な別れを迎えた時、彼が悲しそうな顔で「さよならご主人さん」と言ったような気がした体験もある。
いや、それは物が言ったのではなく、単なる私の感性であり私の妄想。
そうに違いないのだが、今回の場合は、見つかるはずのないものが見つかったのは不思議なことだ。