「バチェラー・ジャパン シーズン1,2,3」レビュー(ネタバレあり)

Amazonプライム・ビデオで配信されている恋愛リアリティ・婚活サバイバル番組「バチェラー・ジャパン」は2017年にシーズン1、2018年にシーズン2、2019年にシーズン3が配信された。
遅まきながらこのたびシーズン1から3を一気に視聴した。

これはアメリカの人気番組の日本版である。
20名もの独身女性達が一人の才色兼備、至高の男「バチェラー」をめぐってバトルを繰り広げ、毎回一人ないし数人が脱落し続け、最後に残った一人の女性がバチェラーと結ばれるドキュメント番組だ。

結論から言うと、私はとてもとても堪能した。
非常に面白かったし、いろいろ勉強にもなった。

評判は世間的には賛否両論、好き嫌いが大きく分かれている。
否定派からよく聞こえてくる声は「これはやらせである」という意見だ。

参集した女性陣は知名度は低いながら芸能活動やモデルを生業とし、始めから売名目的である者が少なくないという指摘があったり、ストーリー進行に局側からの指示が実際にあったと暴露する週刊誌もあった。
その真偽についてはわたしにはわからない。

が推測するに、勝敗をかけて闘う女性陣は常に本気だったのではないか、と思う。
確かに、出演者たちにはかなりの演技要素、演出意図があるだろう。
しかし、誰が残り誰が去るかの選択権は純粋にバチェラーが握っており、誰もその成り行きは知らされていないのは本当だと思う。
そこさえリアルである限り、この番組は見る甲斐がある。

最終回に残った一人の女性とバチェラーは晴れて結ばれるが、シーズン3作とも番組終了後一年足らずでそのカップルは破局してしまう。
3作目など酷いもので、最後に残った一人は番組終了後に捨てられ、バチェラーは破れた方の女が忘れられないと、そっちと寄りを戻してしまうのだ。
そんな軽薄さに視聴者はブーイングを浴びせるが、それこそリアルの証であろう。

これは一種の集団催眠だ。
番組に参加するにあたり、一行は強制的に外界から隔離される。
スマホも没収され、連絡・情報が遮断される。
その環境下、出演者たちは集団催眠とマインドコントロールのような状態になって恋愛ゲームに真剣に没頭することになる。

おそらくバチェラーに対する恋愛感情は思い込みに過ぎず、隔絶環境の中で「脱落したくない」という闘争心が一番のモチベーションだろう。
生き残ることはイコール、バチェラーに選んでもらうことであるから、「私は彼のことが好き」と自身を無意識にマインドコントロールする。
なので、少なくとも収録期間中は本気でバチェラーのことが好きであるし、気に入られようと全力を尽くす。
その感情は意図的に誘導されたものではあるが、ウソ偽りでのない本心である。

そして、ローズを渡されずに脱落すれば、隔離世界から解放され日常に戻る。
そこで一気に洗脳は解けるのだ。
その証拠に、のちに出演者が一同に会する総集編では皆、晴れ晴れと一点の曇りもない笑顔で登場する。
激しく争い、嫌いあっていたライバル同士も仲良しこよしになっている。

一番おいしい役回りは、残り3人になって落ちる女性である。
皆が彼女に感情移入する。
一番割に合わないのが最後の一人に選ばれた女性だ。
その場限りの祝福を浴びせられる。
しかし、実は誰も彼女に興味がない。
皆、落とされた悲劇のヒロインを注視する。
最後の一人は、おめでとうと表面的に祝福されるだけであり、その後バチェラーと破綻すれば、ぼろのカスにディスられるのだ。

閉鎖された特殊な時間と環境で沸騰した疑似恋愛でくっついた二人が、日常生活に戻ってハタと我に帰るのは当前だ。
普通の交際に飽き足らず、一気に気持ちが冷める。
破綻する方がむしろ自然だろう。
最後に誕生したカップルはとてもとてもしんどい思いをするのだ。

この番組は人生の勉強にもなる。
こんな世界でも、利他の精神、思いやりの心が大切だね、と改めて感じさせてくれるのだ。
いかに自分が不遇でも、孤独でも、投げやりになってはいけない。
じっと耐えて周りに気を配り、人に手を差し伸べればかならずそれは巡り巡って自分にも返って来る。
情けは人の為ならず、である。
私も明日から心を入れ替えることにしよう。

バチェラージャパン、大変面白い。
今田耕司、藤森慎吾、指原莉乃は本当に優秀なMCぶりだ。

10月9日からはセレブな女性一人を男どもがよってたかって奪い合う「バチェロレッテ」が始まる。
これもミーハーになり切って楽しもうと思う。