あゝ無情 魂よ、安らかに

自分が知る限りこれほどに素晴らしい人柄の方はそうはいないのではないか、と思っていた方が他界された。
同じ町内に住まわれていたご婦人だ。
まだまだお若かった。
子宮癌を発症し、腸閉塞や帯状疱疹にも苦しまれた長期の闘病生活だったそうだ。

妻はお亡くなりになる少し前にラインで連絡をもらい、お互いの病状やこれまでの経緯について語り合う機会をわずかに持つことできた。
妻はお見舞いに伺った際、かつての生気みなぎる姿から様変わりした様子に愕然としたそうだ。

その時はいろいろ話をする元気はあったそうだが、その翌日はかなり反応が鈍くなり、さらにその翌日はついに面会もかなわなかった。そして帰らぬ人となった。

長い入院生活を経てご自宅に療養していたということは、余命わずかを自覚し、ご自宅で最期を迎えることをご本人が選んだということだろう。
そのお気持ちを思うと胸が熱くなる。

わたし自身はご一緒した機会はとても少ない。
町内会のスポーツ大会や食事会で何度かお会いしただけだ。
しかし、その数少ない接点だけでも、人柄の素晴らしさは瞬時に伝わってくるものがあった。

まずもって無条件にフレンドリーでいらした。
いつも笑顔で明るく話しかけて来られた。
どうして知ったのか、なぜ覚えられるのか、人のことをよく知っていた。
とても細かく、とてもさわやかに、そしてとても自然に、周りの人びとのお世話をされていた。
いつも、いつもだ。
普通の人にはなかなかできないこと。
もちろん今の私には到底無理なレペルだ。
この方はいつもいつも、求める側でなく与える側の人だった。

生きているステージ、立っているステージが普通の人より高かったのだろう。
この資質は生来のものか、意識して身に付けたものか。
話をすれば自分自身大いに心が洗われ、学び得ることが多かったはずだ。
もっとお話させてもらう機会を作るのだった。

永年に渡ってこの上なく苦しく、痛い思いを強いられ、ついにその命の火を消されてしまうとは、何ともやりきれない。
人生は非情だ。この世に神はいないのか。

ただ、この方の死をもってはっきりしたことがある。
人は天からの見返りは求めることはできない。
たたただひたむきに、精一杯生きるのみ。
求められないのであれば、生きることの意義は与えることにこそ見出すべきだ。

お別れに際し、言葉をお贈りしたい。

痛く、苦しい時間が本当に永かったことでしょう。
お別れは悲しいですが、これでやっと楽になられるのではと思うと、当方も少し心が和みます。
今までありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。