桟敷席もいいもんだ
ひがし、にし、主計町の三茶屋街の芸妓が総出演する「金沢おどり」も今年で16回目を数える。
9月20日から23日まで一日2回、全8ステージの舞台だ。
今年はなかなか予定が決まらなかったのでチケットを予約することなくきたが、午後になって「きょうの夕方なら行ける!」と突然思い立ち、当日券があるのかないのか確かめもせずに会場に直行した。
受付に行って「当日自由席券ってあるでしょうか」と聞くと、自由席どころか右桟敷席7番という舞台に近いところが残っていたので即決で購入した。
前売り8200円のS席に当日500円増しの8700円だった。
(まぁ、結構な額ではある。ルビーロマン同様、4500円ぐらいが相応…と私の価値観では思う。)
16時に開演、 第一部は全員による素囃子「新曲浦島」の演奏から始まる。
これはよかった。
格調高い。
ひがしの真砂美さんが第一声を放ち鼓を打つ。
続いて小千代姐さんが朗々と唄いだす。
小梅さんの太鼓は定番だ。腕を曲げないで打つのが基本なんだなきっと。
福太郎さんは最後列で三味線の演奏だ。なんでもできるのにあえて地方(じかた)に回ることが最近多い。
この10分程度の演奏が終わると20分の休憩!
(この時は、もう休憩!?と思ったが、全体の構成上、必然の処置であることはすぐわかった。)
そして第二部に移る。
ひがし、にし、主計町が順番に舞いを披露していく。
これはもう、まったく隙なく次々繰り出されていく芸のオンパレードである。
プログラムを見てあれ?と思ったことがある。
日替わりで福太郎と美月が入れ替わっている。
この日は美月の出番が多い日だった。
おそらく立ち方と地方(じかた)のバランスで、地方が少ないことから福太郎・美月が交互に地方に入るということか。
裏を返せばオールラウンドプレーヤーとしてベテラン・若手から一人ずつ抜擢されたのがこの二人なのだろう。
格としては福太郎は金沢芸妓会を代表するボスキャラ、美月はまだ若手だ。
だから昔馴染みの人であればあるほど福太郎の出番が多い日を見たいと思うかもしれない。
でもでも、、、、
私の素人なりの見方ではあるが、、、
美月は良かった。
この芸妓さん、こんなに花がある人だったか。
むしろ地味な子だと思ってた。
ご本人が聞けば気を悪くするだろうが、私の印象はそんなだった。
だがこの舞台では踊りがとてもよかった。
地方をこなすべきときはこなし、それが芸の幅となって表に出るならば、進んで裏方を務めることに大きな意義が生まれる。
踊り以外の芸の習得にも熱心な金沢の茶屋文化ならばこその価値観として育んでほしい。
「金沢おどり」の名物が乃莉さんという存在だ。
峯子さんとの「一調一管」から始まって八重治さんとの「一調一舞」、そしてついに「小鼓一調」という孤高の世界に入ってしまった。
存在そのものが芸にまで昇華した感がある。
最後に全体感想を述べる。
今回は昨年よりは地味な出し物が多かった。
昨年は特に京都から舞子ちゃんが何人も花を添えたから華やかさだけはあったのだ。
地味なのは別によい。
問題は、、、目の前で繰り広げられる出し物が、何をやっているのか素人にはさっぱりわからんということだ。
素養がないと内容はわからない。
観衆は何をもって拍手しているのか。
綺麗だったね~、なんか凄かったよなぁ~
実はその程度だ。
目の前で演じられるものが、どんな物語で、どういう背景で、いかなる心情を表現しているのか、まったくわかっていない。
これはとてももったいないことではなかろうか。
京都で歌舞伎を見た際、500円だったか800円だったかで、ライブで解説を聴けるヘッドフォンサービスを利用した。
目の前の演目が何をしているのかがよくわかりとても楽しめた。
金沢おどりでもそういうサポートがあればもっと面白い。それが無理ならパンフレットの解説をもっと充実させるとか。
お客さんに中身をもっとわからせてほしい。
一生懸命舞っている立ち方も、唄っている地方も気の毒である。
金沢おどりは金沢が誇る文化イベントだ。
だが、もっと面白く、もっと幅広くするために、スタッフサイドがやらなければならないことはたくさんある。