日本の三道

義母(妻の母)が家に来て、「余ったお花があるから」と玄関にささっと生け花をして帰っていった。
ものの数分であった。

義母は池坊の師範である。
年に数度ある花展では、構想から制作までにじっくり時間をかけ、頭を捻り、悩みに悩む。
対して、普段の生活空間に花をあしらう際には、本当にリラックスした感じでちょちょいのちょいと作ってしまう。

どちらもとても素敵なことである。

母の影響を幼少から受けて、妻も日ごろから花や草木をごく自然に生活に取り入れる。
こういう感性を持つ人と持たない人とでは、大げさかもしれないが人生の豊かさに歴然と差が出るように思う。

無作法にも私はこれまで、華道にはまったく関心がなかった。
しかし最近ようやく、花を活けるという文化の奥ゆかしさ、精神性に感心するようになった。

日本の華道は西洋のフラワーアレンジメントとは違う。
フラワーアレンジメントが花で空間を埋めるのに対し、華道は花のない空間にも美を現出する。
フラワーアレンジメントは技術で、華道は芸術だ。

日本には長い年月をかけて文化を極めることに「道」という言葉をつける。
そしてこの国独自の茶道、華道、書道の3つを「三道」という。
こうした文化は長期的に廃れる方向に進んでいる。
(どれもたしなんでいない私が言えることではないが、)先人たちが築いてきた素晴らしい世界の糸を紡ごうとせず、今の日本人は何を考えとるんだろうか。

しかし、仕事や子育てなどが一段落し、生活や人生を見つめなおすようになって、人々はようやくこのような伝統文化に目が行くようになる。
遅まきながら始めようとなるわけだ。
道を通して、言葉ではうまく表現できない“なにか大切なもの”を感じ取るのだろう。
だから伝統文化は、たしなむ人の数は減っても、この世からなくなることを決してない。

私は「○道」ではないが、習い事と取り組んでいる自己鍛錬がある。
また、茶道はいずれ始めたい。
華道と書道については、せめて人のを見て愛でる心を持ちたいと思っている。