査定する責任の重さ

負の判定は心が重い

 曲がりなりにも今、人を評価し、査定し、本人にそれを宣告する役回りを担っている。高い評価を与えられる時はこちらの心も軽いが、その逆だとこれほど心が重いこともない。本人はいたって誠実なのに、こちらがそれに報いる評価をしてやれない時が一番つらい。どう説明すれば納得してくれるか、どうアドバイスすればやる気を失わず奮起を促せられるか、他でもない私自身が試練の場に立たされているようだ。

これぞ責任者の責任

 このように査定のお役目は重く苦しいものであるが、重く苦しく感じることこそ責務であると思う。もっと豪胆で自信のある人間ならばなんの重圧も感じないかもしれない。だが私はそうではない。小心者であり、自分の判断を絶対視していない。もちろん態度に搖らぎが出てしまうのは上司として失格だと思うが、内心はひどく揺れ動く時がしばしばである。そして今ではそれが私の性格であって、無理に自分を偽っても仕方ないと思うようになった。この性格をもってして何も重たがらず、苦しまずでは逆に社員に対して不誠実極まりないではないか。責任者を全うするのならば、相応に重圧を受けなければならぬ。

受けての反応は千差万別

 人は百人百様だ。大いなる反発を予想して切り出したのに思いのほか素直に聞き入れてくれる者が少なからずいた。反対に喜んで受け入れるだろうと思ったのに、まったく期待はずれだと言わんばかりの渋い表情を見せたものもいた。マイナス評価に露骨に不機嫌になったものもいた。私が裁定される側なら、どういう反応を返しただろうか。

人の真価が現れる

そしてここにも学ぶ点があった。厳しい評価を受けた時の反応や態度に人の真価が現れてくる。負の評価を言い渡されても取り乱すことなく誠実さを保つ者は人として信頼できる。私自身、次回はもっともっと精密に査定し、これ以上ない準備をもって事に臨みたい。そして社員の反応にもっと正面から受け止められるようになる。そこに責任者たる私の真価が問われるのだ。