杉咲 花 に尽きる
杉咲花は日本一の女優である。これは私の数年前からの確信だ。とにかくパワーが凄い。表現できる感情を数字で表すと、並の役者より0が1個多く付く。桁違いのパワーだ。だから彼女は今まで、内面に怒りや不満や闇を抱える少女役が多かった。か弱い少女が感情を爆発させるシーンで、そのあまりのギャップに観るものはたまげた。彼女がプッツン切れると空気がビリビリと音を発した。私は昔演劇をかじっていた頃、感情が振り切れる演技を「ドトー(怒涛)」と呼んでいたが、彼女の「ドトー」はまさに圧巻。他を寄せ付けないものがある。ドトーができる役者は華がある。
一皮向けた女王的演技
その杉咲花が主役を務めた朝ドラ「おちょやん」は、その「ドトー」をグッと抑え込んだ上で、うちに秘めたる情念をさらに重く深く演じ切るという、恐れ入った演技力を見せつけるドラマとなった。ネイティブ関西人を唸らせる完璧な関西弁も話題となったが、おそらく彼女にとっては役を務めるための「前提」「たしなみ」でしかなかったろう。本当の凄さはその先にある。セリフの一言一言にまったくスキがない。目線一つとっても無駄、意味のないものは一切ない。あまりに上手すぎて、共演者が皆下手に見えてしまう。そこがむしろ彼女の欠点だったと言えるほど突出していた。千代が中年の設定になってからは、とても実年齢が23歳と思えない重厚な名演技だった。
悲惨な顛末を逃げずに描いた脚本
ドラマ自体も素晴らしかった。ストーリーを振り返ると主要な登場人物の多くが不幸、不遇、哀れな末路を辿る。主人公千代は天涯孤独。父は一生ダメおやじのまま留置場で死に、生き別れの弟は満州で殺される。夫・一平は愛人を作って千代と離縁。奉公先夫婦の老舗茶屋は潰れ、その娘は戦争で夫を失う。脚本は人の世の無情・残酷さから逃げず、人生とはそういうものだ、絶望の淵からどう生きるのだと正面から問い、主人公を通じてその答えを見せた。
重く悲惨な部分をしっかり描いてきたからこそ、最終回の大団円が感動的だった。劇中劇での千代の台詞「あんたと別れへんかったら大切な人たちと出会うこともでけへんかった。あんさんも私も、愛するわが子と出会うこともでけへんかった」。そう語る千代を昔の仲間、今の仲間、養子の娘が客席から、また舞台の袖から見守る。彼らこそが天涯孤独だった千代にとってのかけがえのない家族だ。不幸を踏み越えることで次の大きな幸せにたどり着く。「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなぁ」。日本一の女優が放った見事な決め台詞だった。
もっと笑いを盛り込めた
あえてダメ出しもする。底流は重厚なドラマだが、喜劇の世界が舞台だけに、劇中劇以外にももっと笑いを盛り込めた。星田英利(ほっしゃん)などがシビアな場面で時折はさむ小ネタが一話に1つ2つ欲しかった。人間関係のドロドロ具合や感情のぶつかりあいが激しいほど、意表をつくギャグが観る者を救い、物語に広がりを持たせる。お笑い芸人がキャストに何人か入っていたのだから、もっとアドリブ的な遊び要素を入れられたはず。喜劇の世界の「おちょやん」そのものを喜劇でコーティングできたと思う。
大女優 杉咲花の出世作
「おちょやん」はつらく重いドラマではなく、たくましく晴れやかなドラマとなった。ひとえに杉咲花という稀代の女優の実力ゆえだ。視聴率は伸び悩んだと聞くが、この女優の演技を見ずして今何を見るのか。ひときわ光る脇役的存在から、押しも押されぬ主演女優の誕生と思う。