市場集約の実態
近年、農協など青果物の出荷団体は、取り引き先の卸売市場を集約する傾向が強まっている。以前はいくつもの地方市場に分けて出していたのが、規模の小さな市場から出荷を打ち切り、大都市の市場にまとめて出すようになる。切られた地方市場はその分商売のタネがなくなり、集荷が厳しくなる。
市場集約の理由
産地側の理由はいくつかある。
①地方市場に出しても大都市と同じ値段もしくは低い値段でしか売れないならば、収益上出す意味がない。東京に出しても1000円、金沢に出しても1000円なら、金沢さんはこれから東京からもらってくださいよ、となる。東京に出してそれで終わりなら手間も楽だ。
②物流面では人手とコストの問題がある。人手不足でトラック便を仕立てるのが年々困難になっている。できるだけ大型車で便数を少なくするには、大都市集中にならざるを得ない。また遠い地方に配送となれば、単純に運賃も余計にかかることになる。
地方市場受難の時代
地方市場からすれば、危機的な状況だ。今まで委託で荷を受けて1000円で売ってきたものがなくなり、同じ商品が欲しければ東京の市場から買い付けなければならない。東京は利益を乗せて1200円出さないと売ってくれないかもしれない。運賃も当方負担かもしれない。物価は都会の方が高いのだ。東京で1000円のものは金沢は800円が相場、というのが普通だが、青果物ではまったく逆の販売環境となる。地方の脆弱な会社から廃業に追い込まれるのはこうした背景が理由である。
地方市場の存在価値
この傾向は残念ながら構造上は止められない。地方市場受難の時代だ。では座して死を待つか。とんでもない。我々には金沢、石川、北陸の市民の野菜や果物を安定的に供給する使命がある。この役割は社会インフラと呼ぶべきもので、絶対に崩壊させてはいけない。そこでどうするか。地方は地方の特色を打ち出さねばならない。確かに時代を経るほどに状況は厳しいが、先人たちは知恵を絞って地方市場の存在感を打ち出してきた。例えば食文化の違いがある。農産物は規格が一定ではなく、大きい玉もあれば小さいものもある。都会で好まれるサイズとと当地で好まれるサイズは違ったりする。品種に対する好みも違う。そこを見極めて産地と折衝する。都会よりこちらのほうがいい値段を出せる部分が必ず見つかる。要は産地に対する提案力を増し、相手に熱意を示すことだ。ただの“1000円”という商売を脱却し、中身に違いがある商いをすることが大切だ。東京・大阪の下にぶら下がっているだけの地方市場には決して見を堕としてはなるまい。