東京パラリンピックが8月24日に開幕
東京五輪に続き、8月24日(火曜日)、東京2020パラリンピックが開幕した。24日に開会式、そして25日から各競技が始まった。9月5日までの12日間に22競技539種目、参加国161ヵ国、選手数4400人規模で熱戦が繰り広げられる。これはロンドンに続く過去2番目の多さだ。日本代表選手は約250人である。
多様な闘い方に感動
競技を見て驚嘆する。障害は各人様々である。足がない人、手がない人…。障害の重度数を合わせるとはいえ、まったく均一でない障害を抱える人々が、同じ舞台で技と力を競う。だから例えば水泳では泳法が競技者によってバラバラである。両足・両手がない選手が体をくねらせて泳ぐ。人間の独創性、可能性、ブレークスルーへの意欲はかくも凄まじいものか。人とはかくも強くなれるのか。
パラリンピック開催の意義
生まれつき障害があった選手、生誕後に事故や病気で障害を抱えるに至った選手、その経緯はさまざまである。失意、絶望、諦念を乗り越えてアスリートの道を歩み始めた人々が多いことだろう。選手にとってパラリンピックを目指すことは生きている証である。ならば、いくらコロナで大変な世であろうが、大会を中止することは彼らの人生の少なくとも4年間を奪うことになりはしないか。本大会、ぜひとも感染拡大を最小限に止め、最後までやり切っていただきたい。
学校連携観戦プログラムには賛成
ウイルス感染対策で全21会場が原則無観客となる。しかし自治体や学校が希望すれば「学校連携観戦プログラム」が実施され、学生が観戦することができる。これについては賛成派、反対派で激しい議論があった。私は賛成だ。観れば必ず若者たちの感性に触れる。人の多様性、可能性、平等、不平等、克己、生命、人の価値…etc.
人の世は残酷なほどに不平等である。だがそれを嘆き悲しみ恨むのではなく、不平等を受けとめたうえで自身はどう生きるかを見つめる。その絶好の機会がパラリンピックにはある。我が子を外に出すのに不安を感じるのは親として当然だが、世話をする関係者、学校の先生方を信じ、送り出すべきだと思う。