東京時代の恩人
東京に住んでいた頃、山口幸一郎さんという方にとてもお世話になった。一応は仕事上のつながりだが、ものの考え方、人の情、生き方など、仕事を超えて薫陶を受けた。人見知りの激しい老人だったが、物凄く面倒見のいい人でもあった。こわい人だったがやさしすぎる人でもあった。独特の偏屈さが私は嫌いでなかった。
思い出
当時の私の仕事場と山口さんの居場所がお隣だった。よく呼びつけられた。仕事の話でも説教でもなんでもなく、将棋盤を広げて相手をさせられた。中飛車が好きで、しかも攻撃的であり、真ん中からガンガン突破された。私が金沢に帰ってからもたまに電話をいただいた。「そっちは魚がうまいだろ。刺し身を盛り合わせで送ってくれ。こっちの連中に食べさせてやるんだ。予算なんか別にねえよ。10万分くらい適当にみつくろってくれ」と豪快だった。
他界
先日知人から、山口さんは5年ほど前に亡くなったと知らされた。私が30の頃にはもう60歳はゆうに超えていたはずだから、他界されたのは80代の中頃か。晩年は認知症が進んでいたらしい。あんなに頭のいい人でもかかるのだ。人生ははかない。
最後の電話
日記を紐解くと、2014年(平成26年)12月31日に山口さんから電話をいただいたとある。特に用事はなかったと思う。元気か。まあまあ元気です。元気ですか。よぼよぼだよ。しばらく前に離婚して今は天涯孤独だよ。え、そうなんですかびっくりした…というような話をした。その後唐突に「お前はすごかったよ」と褒められた。なんの脈絡もなかったが、なぜか東京時代の私を思い出して褒めてくれた。
お前には行動力がない
東京時代、よく叱られた。「お前は頭はいい。だが行動力がない」と。頭がいいはだいぶ割り引いて受け止めるべきだが、この言葉は私の本質をグサリついている。残念ながら今でも私の弱点だと思う。この人をごまかすことはできないと感じていただけに、電話の褒め言葉はとてもうれしく、その後のわたしの自信になった。
安らかに…
目立つことが大嫌いな方だったので、私が実名を出したことに天国から激怒されていることだろう。だが、私はこの名を忘れたくなかったのだ。私もいつか認知症になって山口さんの名前を思い出せなくなる日がくる。その日の自分のために、ここに記録しておく。合掌。