Wの形の石段
金沢に住みながら金沢を知らない。それをほんの少しずつ埋めていく。金沢市清川町。金沢を流れる犀川の「犀川大橋」のひとつ上流「桜橋」のすぐそばに、寺町寺院群に通じるアルファベット〝W〟の形に折れ曲がった石段がある。人呼んで「W坂」という。旧制金沢四高の学生が呼ぶようになったという説がある。
正式名称は石伐坂
この階段(坂道)は正式名称を「石伐坂」という。「いしきりざか」と読む。藩政時代には坂の上に石工の職人達が住む町があったことが名前の由来だ。室生犀星のお気に入りの散歩道だったともいわれている。
井上靖とW坂
W坂は文学にも登場する。井上靖の「北の海」だ。氏は旧制金沢四高の卒業生である。小説は当時の氏の実体験を材料にしている。当時、四高は柔道とボートで全国一を争う強豪校であり、氏自身、柔道部に所属して増田俊也著「七帝柔道記」で有名になった高専柔道に没頭した。W坂に小説「北の海」の文学碑がある。そこには小説中の次の一説がしたためられている。
「北の海」
二人は橋を渡ると、かなり急な坂をじぐざぐに登っていった。
「この坂はW坂というんだ。W字型に折れ曲っているでしょう」
杉戸は説明してくれた。なるほど少し登ると折れ曲り、また少し行くと折れ曲っている。
「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ。あんたも、あしたから、僕の言っていることが嘘でないことが判る。稽古のひどいどい時には、この辺で足が上らなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわなければならぬかと、自然に涙が出て来る」
淡いご縁
高専柔道は今の総合格闘技における〝柔術〟に脈々と通じるものがある。私の父は第四高等学校最後の2年の卒業生であり、私の息子は今年、金沢大学理工学域に進学することになった。金大理学部(理工学域の前身)の前身は第四高等学校である。私自身ではないが、私をはさんで父と息子のつながりということで、この坂にもそこはかとなくご縁を感じる。