10月9日の晩、大切な方が逝ってしまった。
私にとっては恩人である。
20年前の1999年3月、故郷金沢に帰り、丸果石川に入り、最初に預けられた部署「果実二部」の部長でいらした。
現場で直接私を指導してくれたのはその下の課長だったが、ちゃんと遠巻きに見守っていてくれた。
それが当時ペーペーだった私にもはっきりとわかった。
入社時、「ここは朝が早い仕事や。時に寝坊する時もあるやろう。でも絶対に焦って来てはいかん。運転はいつも以上に注意してこい」とおっしゃった。
私は入社後すぐに結婚し、子供もその1年後に産まれたが、ご夫婦で病院に(きったない国立病院だった・・・)にお祝いにきてくださった。
私は入社した年はきちんと4時半に出社した。親の顔をつぶせないという私なりの意地だったが、数か月経った時「けいすけ、お前は感心や」とその方は言った。毎日決まった時間に出社するだけの大したことないことだが、そう褒められて無性にうれしかった。
「市場には活気がなくちゃいかんとよく言われる。しかし、活気って本当になくちゃならんのか」。
典型的な市場人たるこの方からこのセリフが出たときは驚いた。
そして、その後の私の卸売市場を考える際の基本スタンスを変えるきっかけとなった。
あったり前と思い込んでいる常識を疑うこと。常に一歩踏み込んで考えること。
なぜ・なぜ・なぜ・・・の問い掛けを繰り返し投げかけることの大切さを知った。
初めて物を売らされた時、まったく引き合いがなく売れ悩んだ。
「あきらめずに最後までがんばって売るのは大事なことや。ほやけどしょせん人(荷主)のもんやと思っとけばいい」と言ってくれた。
下手すれば無責任と思われそうなアドバイス。
しかしこれは名言だと思う。
私は楽になった。背負いすぎるとつぶれるのが人間だ。そうなれば元も子もない。
しょせん人のもんや。
このセリフはその後、私の口から何人かの後輩に伝えることになる。
(真意が伝わらず、無責任な上司と思われただけに終わってなければよいが。)
現役終盤、明らかに様子がおかしかった。
年相応の衰えをはるかに超えて老いが目立った。
あれだけちゃきちゃきに元気だった方が全く精細を欠いた。
目に生気が失せた。
専務、どこか体調お悪くないですか、との問いに、「うん、今度の人間ドックでしっかり見てもらおうと思う」とおっしゃった。
そんなレベルの問題でないことは明らかだった。
独断で金大病院の知り合いの先生を頼ったら、脳神経科の先生を紹介してくれた。
その話をしたら「わしゃ、そこで診てもらう」と即座に言った。
綿密な検査を経て、PSP(進行性核上性麻痺)とわかった。
パーキンソン病ではないか、と疑っていた私の読みは近かったことになる。
退職時には何を理解し、何がわかっていないのかも定かでないほど無表情・無反応になっていた。
2016年6月、会社最後のお勤め日(株主総会をもって退任退職)、皆から花を贈られ、「一言どうぞ」と振られたが、一言も発することなくすーっと歩いて部屋を出て行かれた。
もう何もかも感じなくなってしまったのかと正直哀れに思った。
が、そうではなかった。
最後にお見送りした者が言うには、駐車場に行きついた時、号泣し始めたというのだ。
わかっていたのだ。
悔しかった、無念だった、悲しかったにちがいない。
表情には出ていなくても、すべてわかっていたのだ。
退職されてから、現役時代によく使っていた飲み屋に挨拶に来たそうだ。
その時「けいすけが金大病院を紹介してくれて、そこで今診てもらってる」と言ったそうだ。
そんなことも覚えていてくださった。
私は恩師に何も恩返しできなかったが、その部分だけはお世話出来たかなと思う。
師から習ったことは、人間の情のありがたみだ。
安らかにお眠りください。