母を歯医者に送迎
母は体が不自由であり、一人で外出はできないが、歯の方はしっかり残っている。ただ数ヶ月前に歯のかぶせ物が取れた。歯医者へは私が送迎をする。どうしても出社時間とかぶるので、会社にお願いして1ヶ月に1度か2度は早退させてもらってきた。親の介護が必要な場合、家族の協力はもちろんだが、会社や諸機関の助力を得ながらなんとかこなしていくことになる。ここ数年でその有り難さを実感した。福祉社会とは人間社会の良識によって実現するものだ。
子供の頃の思い出
たかが歯の治療ではあるものの、こうして送迎をしていると感慨深い。私が幼少の頃は、当たり前ながら、何をするにも母が世話をしてくれた。風邪をひいて熱を出す、怪我をする、やけどをする、交通事故は2度もあった。母は車の免許を持っていないので、その都度タクシーを走らせ、私を医者に連れて行った。
枯れた思いに浸る
あんなに聡明だった母もすっかり老いた。人の認知能力、人格、性格、メンタル・タフネス、その他もろもろ、人の精神なんてはかないものだ。そして今、私が母を医者に連れて行っている。親と子のお世話逆転の図は、古今東西の習わしだ。私の人生にもようやくそんな時期がきただけのこと。今さら感慨に浸ることではないのかもしれない。やがて私にも今の母のような時が来る。その時、息子は私に対して何を感じるだろう。母は私にはいつもほぼ穏やかである。私も聞き分けの良い丸いジジイにならないと、息子は迷惑だろう。…すっかり枯れた思いに浸ってしまった。ここらで筆を置いておこう。