卸売会社は産地作りを担えるのでは

金沢には加賀れんこんというとてもいい伝統野菜があって、若い生産者が何人もいる。
農協の生産部会がその中心的存在である。
けれども、それに属さずに独自に組合を作ったり、個人で出してたりする人もいて、出荷の主体はさまざまだ。

多様性はいいこともあるが、一つ一つはちょっと細い。
もう少しまとまれば販売面でもっと力になるのに。

また、加賀れんこんは加賀野菜認定品目だが、どこで作っているか、どこに所属しているかで「加賀野菜」を名乗れたり名乗れなかったりする。

こんなこと生産者はよくわかっているのだが、なかなかうまくまとまらず、むしろ個人化が進んでいるようにも見える。

考えてみれば当然ではある。昔ながらの地面で、お隣さんと一緒にやってきた人がいれば、新しく参入し、距離の離れた河北潟でやり始めた人もいる。能登で作っている人もいる。世代も違えば作り方、考え方も違う。折り合いがつかなければそれぞれ独自の道を、というのは致し方ない。

一方でルビーロマンという新しくできたブランドもある。
百万石というコメもある。

これは、生産単位は完全に「個」である。
農協では完全に個として受け入れるが、小売レベルでは逆に完全に「組織」として販売される。その品種品目を作ること自体に縛りがかけられているからだ。

ルビーロマンは石川県全域で作られている。
ぶどう農家なら誰でも苗がもらえる。ただし門外不出。県外に持ち出してはいけない。
そして、ルビーロマン倶楽部が定めた厳格なルールに合格したものだけが正品と認められ、市場出荷される。だいたい金沢が60%、東京が20%、大阪10%、その他10%だ。

農協職員という第三者的立場が格付けし、市場のセリ人というまた別の第三者が販売するから、出荷は「個」でもその先は「組織」として認められ、ルビーロマンというブランドにお墨付きが付加される。

これからの産地づくりはこうした形態が増えていくのではないか。
この地域は●●の生産エリアです、みんな家族同様です、という形を新規に作り上げるのは無理だ。

ならば、市場が積極的にその格付け機関の役目を担う存在になるべきだ。
●●を作ってくれ、こういう規格で、こういうグレードに仕立ててくれればそれを「金沢市場ブランドの●●」として販売する。
地域・世代・キャリア・考え方の違いとはまったく無縁の世界。

ことに、零細な地面、零細な生産農家が多いこの地では、それがないと個の集積が図れないように思う。
その担い手になることが卸売会社の新しい役割ではないかと感じる次第。