私の修身数え唄の第8は「八つ、やるべきことをやり、やるべきでないことをやらない」です。
やるべきでないこと、その筆頭がゲームです(断言)。
ただ、私はまったくやらないではなく、ちょっとだけしかやらないというとてもゆる〜い縛りにしています。
ここで言うゲームとは、スマホやPCやゲーム機で一人でやるゲームのことです。
香川県が今、ネット・ゲームを規制する条例の制定を検討しています。
素晴らしいことですね。
賛否はいろいろあるようですが、少なくとも制定に動いた人たちは若者たちの未来を真剣に憂えていると思われ、私は支持します。
個人の自由だ、自己責任だ、公が規制すべきでないという建前はわかりますが、「ダメなものはダメなんだ。だから強制的にダメとする!」というほうが大人ですね。好きです。
我が石川県も「いしかわ子ども総合条例」で小中学生の携帯電話所持について規制しています。
基本的にゲームとスマホ(ラインとか)は問題点が一緒です。
それは依存性です。中毒性と言ってもいい。
自分自身にその自覚があるから、間違いありません。
古くはドラクエ、FFT、三国志(以上ファミリーコンピュータ)、
近年ではダビスタ、成金大作戦など(以上スマホ)。
私はゲームにもうはまることはまること。
どれもとても楽しかったです。夢中になりました。
でもこれらはやっぱり、やればやった分だけ、時間の浪費であることは間違いないのです。
ゲームはやっても何も残らない。何も!!
恐らく、ゲームをしている間、脳みそはほとんど動いていないのではないでしょうか。
攻略のために脳をフル回転している、なんてことはなく、ただ画面に反応しているだけだと思います。
やればやるほど馬鹿になる、かどうかは知りませんが、何かを得ることはないです。
せいぜい三国志の登場人物に詳しくなった、という程度ですが、ゲームに費やした分を普通に読書とか勉強に使っていたら、三国時代どころか世界史・日本史・倫社・政経すべてのマスターになったいたことは間違いないところですね。
これはゲーム中毒になったことのある私自身の実感です。
子どもに対してタバコを規制するのと同じです。
ゲームは規制すべきです。
中毒性があって有害(生産性のある時間を無にするという意味で)なんだから。