にわかラグビーファン日記(3)

「ニワカ」はニワカなりに知識を得て、ラグビーにますますはまっていく。
今回は日本代表の桜のエンブレムについてだ。

このデザインはとてもすてきだ。
さくらはみっちりと3つ安定感があって、ピンク色が愛らしい。

これをキングコングのような大男が身に着けるのがいい。
日本のシンボルであるサクラを胸につけることに、外国人が誇りと愛着を感じてくれるなら、日本代表選手になってくれることに心から歓迎の意を表したい。

エンブレムの桜は、日本代表が初めて結成された1930年、当時の代表監督の香山蕃(しげる)監督と選手が話し合って決められたそうだ。

その時のデザインは、満開、半開き、つぼみの3種類があしらわれており、「いつか、ラグビーの母国イングランドと戦えるようになったら、全てを満開にしよう」という思いが込められた。

今は3輪とも満開だ。
イングランドとはもちろん何回も戦っている。
(でもまだ勝ったことはないかもしれない。)

そして、この桜の花に込めた意味がまたすごい。
これまた初代代表監督、香山蕃氏の著書によると
「ユニホームの胸を飾る桜は何を語るか、正々堂々と戦えということである。敗れる場合には美しく敗れろということである。武士の魂を象徴する桜は美しく咲く花にあるのではなくて美しく散るところにあることを知らなければならない」。

なんと武士道の美学と死生観だ。
これまた、外国人代表選手が理解してくれるのか興味深い。

エンブレムといえば、サッカー日本代表の「八咫烏(やたがらす)」も好きだ。
大事な大事なエンブレムのデザインに「カラス」である。
このセンスがシブい。

もちろん、このカラスはただのカラスではなくて、日本の神話に登場する霊験あらたかなカラスであり三本の足を持っている。

三本足の八咫烏と満開の三輪の桜。
日本人は三という数字に特別な意味を感じるのだろうか。

ラグビー日本代表は、この桜のエンブレムから「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜)」と呼ばれる。
とてもいい。
しかしこの呼び名はまだファン(特ににわかのファン)には浸透していないようだ。

ニュージーランドの「オールブラックス」、オーストラリアの「ワラビーズ」のようにチームの愛称はとても大事である。
サッカーの「サムライ・ブルー」より伝統ある名前であり、ぜひ広まってほしいと思う。

にわかラグビーファン日記(2)

プール戦第2戦、対アイルランド戦は19-12で日本代表が勝った。

4年前の南アフリカ戦以来のジャイアントキリングである。

この勝利で日本中、ラグビー熱が沸騰である。
森喜朗先生、あなたは正しかった。ご尽力ありがとうございます。

ラグビーは同じフィールドスポーツでありながら、サッカーとはプレイスタイル、スポーツマンシップで差別化が図られておりとても興味深い。

けがで戦列を離れていた福岡堅樹が復帰し、終盤、彼が見事なインターセプトで大独走した時は鳥肌が立った。

スクラムやモールなど集団のもみ合いがあるかと思えば、こういう矢のようなスピード感も楽しめる。

ラグビーは多彩だ。
にわかファンはすっかり虜である。

スポーツマンシップと言えば、これだけ当たりが激しいのに、妙に男どもがさわやかである。
戦いすめばノーサイド。
(本当は陰ではいろいろと、どろどろ、がつがつ、あるんだろうが、今のところ「にわかファン」にはサッカーよりもはるかにさわやかに見える)

これについてはカズ(三浦知義)が新聞でこう書いていた。
「審判の裁定に対して誰も文句を言わないね、すごいね。」

ショーマンシップの点からいえば、文句言って試合が荒れるのは面白みでもある。が、サッカーはさすがにあざとい奴が多すぎる。
スポーツマンシップの点からいえば、ラガーマンはサッカー人に比べ人格的に一回りか二回り大人である。

この差別化が功を奏し、今後ラグビーファンはますます増えるだろう。
ようやくラグビーに日の当たる時が来たのだ。

自閉症の天才イラストレーター 松元伸乃介さん来社

イラストレーターの松元伸乃介さんがお母様の聖子さんと来社されました。 来年のカレンダーの打合せのためです。

2011年から会社カレンダーのイラストを伸乃介さんにお願いしています。
おっ!たった今気が付きました。
来年のカレンダーが記念すべき10作目なんですね。

今回はわが社自慢のうら若き才女4人がアイデアを出しあってテーマと構図を考え、伸乃介さんにオファーする方式で製作が進みました。
今まで数々の名作が産み出されましたが、今度のもすっばらしいです。
今はネタばらしできませんが、来年と言えば当然あれでしょうかね…。
…ま、完成乞うご期待です。

松元伸乃介さんは1989年に生まれ、3歳の時に重度の知的障害と自閉症の傾向が強いと告げられました。
しかし彼には特別な才能があったのです。

小さいころから動物の絵に強いこだわりを持ち、人間を描く時もなぜか動物で表現します。
彼の目には何もかもが動物に見えるのでしょうか。
とにかく来る日も来る日も書き続けました。

今では毎晩、母・聖子さんが営むお店に一緒に来て、お客さんの要望に応えて似顔絵をサービスで描いてくれます。
もちろんその似顔絵は動物の姿として。

地元テレビ局が全面的に応援してくれたこともあって話題となり、絵本を出版するなどして活動の幅を広げ、気が付けば絵を描くことが仕事になっていました。
正面切って「金沢在住の、自閉症の天才イラストレーター」という触れ込みでデビューしたのです。

絵を描いてほしいクライアントの意向を彼にわかりやすく伝える、言わば通訳係が母・聖子さんです。
うちの会社の人間は聖子さんと昔からお付き合いがあったので、伸乃介さんのことも小さい頃からよく知ってます。

2019年のカレンダー。 テーマは伸乃介版「アベンジャーズ」です。

2010年、会社はそれまで永年お客さんに配っていた「日めくりカレンダー」をやめることにしました。
理由は、製作費が高くつく割には人にあげても喜ばれないことでした(苦笑)。

でもな~、代わりに何もないのもまずいな~、フルーツの写真とか、それをほおばるキッズの写真とかを適当にあしらって、一枚もののカレンダーでも作ろうかな~、でもそれってうちのイメージじゃないよな~
なんて私はうじうじ悩んでいました。

2019年カレンダーの原画

…そ・の・時!

私は天啓に打たれたのです。
と言うと大げさですが、その時はそう感じました。

-伸乃介に描いてもらおう。
それも、得意な動物に加え、野菜やくだものもからませる。
それならうちだけのオリジナルになる。-

地元・金沢の絵描きで、しかも一種特異な存在で、昔からよく知ってて、老若男女が親しめる楽しいタッチで、完全オリジナルで、野菜くだものが溢れてるカレンダー!!
これ以上にうちらしいカレンダーはあり得ません。

断言します。
入社以来、私が会社に貢献できた最大の仕事が「伸乃介起用」です。

今日のミーティングで結局、私はダメ出しをし、一から描き直しをお願いしました。
来週から海外旅行を控える彼を今晩から徹夜で働かせてしまうかもしれません。
伸乃介さん、お母さん、本当に申し訳ありません。 でも妥協せず、今回も最高の作品にしあげましょう。

季節が変われば食も変わる

まだ日中は暑いですが、朝晩だいぶ涼しくなりました。
本当に今年の夏はひどい酷暑でしたね。
(このセリフ、毎年言っているような気もします。)

気候が変われば、食べたい物が変わります。
夏は冷たいものが食べたく、秋は暖かいものが欲しくなります。
この変化はもう露骨です。
スーパーマーケットの食品売り場は売れ筋が一気にチェンジします。

売れ筋は今が何℃かという絶対温度ではなく、昨日から何℃気温が上下したかという相対温度に左右されます。

まだ28℃なんだけど昨日35℃だったから、なんか急に鍋が食べたくなってきた、という感じです。

なので、2週間先の特売チラシを常に考えているスーパーにとっては、その時の気候がどうなっているか、どのタイミングで変化するのか、を読むのはとても重大な仕事です。
「ウェザーマーチャンダイジング」なる分析手法が発達するくらいですから。

で、今は夏の暑さから秋の涼しさへの転換期ですが、「暖かいものが欲しくなるといっても、それはおでんの具材ではなくって、石川県で言えば『とり野菜みそ』で食べる鍋商材が売れるということだよ」と教えてくれたのがうちの会社で野菜部門を統括している嶋田部長です。

おでんはもっと寒くなってからが本番なので、今、大根はそんなに動かない。
大根は今、大根おろしにしてサンマにつける程度です。
ああ涼しくなったなーという今なら、白菜やねぎ、きのこが主役です。

だから地元・石川県産の上記3品がそろそろ増えてくるのはとても理にかなったことなのですね。

その季節のあるべき気候が狂ってくると、売れるべき野菜が売れなかったり、逆に旬でないものが流行ったりします。
また、暑さ寒さの程度も大事です。
夏はスイカ!というけれど、35℃まで上がるとスイカはパタッと売れなくなって、みんなアイスクリームに流れます。
ものには「適度」というものがあるのです。

春は暖かく、夏は暑く、秋は涼しく、冬は寒く。
その季節に見合った気候がきちんとやってきてくれるならば青果物は順調に売れていきます。
なので昨今の異常気象の連続は、農産物を扱う者にとっては本当に困った事態なのです。

まあ、そういう難しい業種だからこそ、うちみたいな会社が青果のプロとして働けるわけですが。

体言止めは嫌いだ

 体言止めが安易に使われている文章を見るとちょっといらついてしまう。
今や誰もがSNSでひと言ふた言で表現するからなおのこと目につく。
写真一枚に全文が体言止め…ってな投稿もざらだ。

私だけの秘密の隠れ家。
贅沢な一品。 
時を忘れて、至福のくつろぎ。

気持ちわりーわ!
 どっかのスーパー銭湯のチラシか!

 日本語の語尾はバリエーションが少ない。
特に、ですます調(敬体)は文章が単調になりやすい。
そこで体言止めを使ってみる。
するとリズムが良くなった気がするんだろう。

まずその発想が安直だ。
語尾を省けばリズムが良くなるとしても、その分意味は曖昧になる。
安易に使うと文章が安っぽくなる。

また、偏見かもしれないが、体言止めをよく使う人には密かに“自分は文章が上手い”と思っている人が多いような気がする。

ぜっっってえ違うから!

体言止めがポンポン出てくると、“ほうら私の文章は軽妙でしょう?”と言っているようで、書き手の傲慢さを感じてしまう。
人に何かを誠実に伝えるつもりなら、体言止めは本来あまり使えないはずのものだ。

乱発は基本的にその文章を曖昧にし、独りよがりにし、気持ち悪いものにする。

もちろん体言止めを有効に使う優れた表現もたくさんある。
しかし世に蔓延する多くは、中身のない文章をごまかして読ませる小手先のテクニックにすぎない。

 これからは自己ルールとしてSNSなら1つの投稿に多くて1度、長文なら全体で2~3回程度、ここなら有効と思える箇所でのみ体言止めを使っていいことにする。
回数制限するたぐいのものでもないだろうが、文章力に自信はないので、当面これを意識してみよう。

「市場流通ビジョンを考える会」でビジョンを述べた

「市場流通ビジョンを考える会」なる会がある。

東京聖栄大学の藤島廣二先生が中心となって、今後の卸売市場はどうあるべきかを考え、議論する会である。

藤島先生は数少ない「卸売市場寄り」の学者先生である。 市場流通の重要性を説き、市場不要論者の根拠なき攻撃を正面から受け止め論破して下さる。

かと思えば、だからお前たちはダメなんだ!と市場関係者の不甲斐なさを叱り飛ばすこともしばしばである。

私はご縁あって20年近く前から先生の教えを受けてきた。 その先生が金沢で「市場流通ビジョンを考える会北日本部会」を開き、そこで、私にも20~30分しゃべれという。 師の命令には逆らえないので「あくまで個人的なコメント」と断って話をさせてもらった。

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・北陸の拠点市場であるからには金沢の公設公営は維持するべきだ。
・第三者販売は自衛上必要。禁止条項は絶対にとりはずせと主張してきた。
・定温保冷庫を大規模に確保できるなら、定温卸売場は小規模でよい。
・各社ごとの仲卸売場は必要か。共同の保冷庫、ピッキング場を運営してダウンサイジングしてはどうか。
・卸同士のM&Aより、卸と仲卸のM&Aの方が現実的だ。

以上を公の場で初めて述べた。 時代によっては話題にするのもタブーだったデリケートな問題であり、今でも軽々には言えない。

本会には仲卸も多数参加しており、反発されることを覚悟していたが意外にもそれはなかった。 「議論をしなければ始まらないんです。今回の問題提起はよかったですよ」 と市場コンサルタントの本田茂さんが褒めてくれた。藤島先生も「仲卸売場の撤廃など、これを機にスムーズに合意が進むかもしれないよ」 と評価して下さった。

会が終わってから気づいた。市場の代表としてしゃべったのはなんでオレだけだった?ほかのキーマン…水産卸や花卉や仲卸にもいっぱいいる…は、質疑応答のコーナーで意見は出たが、表立った発言はなかった。

結果的には、私の口を使って先生が問題提起したようなもので、私はまんまとダシにされたのかもしれない。
                 ・・・光栄です。

豚コレラ問題について中田二郎さんに習った

豚コレラの感染が止まらない。
2019年9月時点では、特に愛知県と岐阜県で多くの感染が見つかっている。

感染豚が出た場合、その養豚場はすべての豚を殺処分にする。
大きい養豚場だと一度に数千頭を土に埋めることになる。

岐阜県は12万頭いた豚が、現時点で5万頭しかいなくなった。
つまり、7万頭が殺処分になった。半端な数ではない。

まだ鹿児島や北関東で感染が出ていないので救われている。
鹿児島には130万頭の豚がいる。
もしここに飛び火すると大問題だ。
豚肉の相場がひっくり返るほど大きく変動するかもしれない。

感染した豚の肉を食べても人体には影響がない。
なのにすべてを殺処分にしなければならないのはなぜか。

この点について、天狗中田産業の社長であり個人的にも親しくさせていただいている中田二郎さんに教わった。

簡単に言えば、感染肉を放っておくとそれが媒介して際限なく感染が広がり、途方もない豚が死滅する恐れがある。

人は食べ残す。
もし人が感染肉を食べ、半分を食べ残して捨てるとする。
それをカラスなど野生動物が食べる。
ウイルスはカラスに無害かもしれないが、豚コレラウイルスはカラスの活動範囲内にばらまかれる。
野生動物が媒介してウイルスは全国に感染し、健康だった養豚場をやがて侵す。

これを防ぐために、感染豚が発見されたら即時にその囲みの中すべては封印処置をとらなければならない。広域に流通させてはいけないのだ。

ワクチンを豚に打って予防しようという動きも盛んである。
しかし、エライザ法という検査は、ウイルスに対する免疫ができたかどうかを図るもので、ウイルスを持っている豚なのかまったくウイルスに触れていない豚なのかを識別することはできないらしい。
だから、今できることはワクチンを打った豚と打たない豚の区分けをしておこう、という程度である。
本当は、すべての豚にワクチンを打つことに統一した方がその後の管理はやりやすい。
しかし、経費もかかるので大変難しい問題だ。

豚コレラが収束するには時間がかかるだろう、というのが中田さんの見解だった。

レストラン「ぶどうの木」の料理長・米田岳人さんはジビエ料理の振興に大変な尽力をされている。が、この豚コレラ問題のせいで、ジビエ料理を注文するお客さんは最近めっきり減ったそうだ。

食べても大丈夫と言われても、「コレラ」にかかった肉だもの。やっぱり食べる気は失せる。
消費者心理としては当然だ。

だから、今はせめて、豚コレラについて正しい知識を深めるような活動がもっとあるべきだ。
風評被害をできるだけ起こさないためにも。

金沢おどり観劇

桟敷席もいいもんだ

ひがし、にし、主計町の三茶屋街の芸妓が総出演する「金沢おどり」も今年で16回目を数える。
9月20日から23日まで一日2回、全8ステージの舞台だ。

今年はなかなか予定が決まらなかったのでチケットを予約することなくきたが、午後になって「きょうの夕方なら行ける!」と突然思い立ち、当日券があるのかないのか確かめもせずに会場に直行した。

受付に行って「当日自由席券ってあるでしょうか」と聞くと、自由席どころか右桟敷席7番という舞台に近いところが残っていたので即決で購入した。
前売り8200円のS席に当日500円増しの8700円だった。
(まぁ、結構な額ではある。ルビーロマン同様、4500円ぐらいが相応…と私の価値観では思う。)

16時に開演、 第一部は全員による素囃子「新曲浦島」の演奏から始まる。
これはよかった。
格調高い。

ひがしの真砂美さんが第一声を放ち鼓を打つ。
続いて小千代姐さんが朗々と唄いだす。

小梅さんの太鼓は定番だ。腕を曲げないで打つのが基本なんだなきっと。

福太郎さんは最後列で三味線の演奏だ。なんでもできるのにあえて地方(じかた)に回ることが最近多い。

この10分程度の演奏が終わると20分の休憩!
(この時は、もう休憩!?と思ったが、全体の構成上、必然の処置であることはすぐわかった。)
そして第二部に移る。
ひがし、にし、主計町が順番に舞いを披露していく。
これはもう、まったく隙なく次々繰り出されていく芸のオンパレードである。

プログラムを見てあれ?と思ったことがある。
日替わりで福太郎と美月が入れ替わっている。
この日は美月の出番が多い日だった。
 

おそらく立ち方と地方(じかた)のバランスで、地方が少ないことから福太郎・美月が交互に地方に入るということか。
裏を返せばオールラウンドプレーヤーとしてベテラン・若手から一人ずつ抜擢されたのがこの二人なのだろう。
 
格としては福太郎は金沢芸妓会を代表するボスキャラ、美月はまだ若手だ。
だから昔馴染みの人であればあるほど福太郎の出番が多い日を見たいと思うかもしれない。
でもでも、、、、

私の素人なりの見方ではあるが、、、

美月は良かった。

この芸妓さん、こんなに花がある人だったか。
むしろ地味な子だと思ってた。

ご本人が聞けば気を悪くするだろうが、私の印象はそんなだった。
だがこの舞台では踊りがとてもよかった。

地方をこなすべきときはこなし、それが芸の幅となって表に出るならば、進んで裏方を務めることに大きな意義が生まれる。

踊り以外の芸の習得にも熱心な金沢の茶屋文化ならばこその価値観として育んでほしい。

「金沢おどり」の名物が乃莉さんという存在だ。
 峯子さんとの「一調一管」から始まって八重治さんとの「一調一舞」、そしてついに「小鼓一調」という孤高の世界に入ってしまった。
存在そのものが芸にまで昇華した感がある。

最後に全体感想を述べる。

今回は昨年よりは地味な出し物が多かった。
昨年は特に京都から舞子ちゃんが何人も花を添えたから華やかさだけはあったのだ。

地味なのは別によい。
問題は、、、目の前で繰り広げられる出し物が、何をやっているのか素人にはさっぱりわからんということだ。
素養がないと内容はわからない。

観衆は何をもって拍手しているのか。
綺麗だったね~、なんか凄かったよなぁ~
実はその程度だ。

目の前で演じられるものが、どんな物語で、どういう背景で、いかなる心情を表現しているのか、まったくわかっていない。

 これはとてももったいないことではなかろうか。

京都で歌舞伎を見た際、500円だったか800円だったかで、ライブで解説を聴けるヘッドフォンサービスを利用した。
 
目の前の演目が何をしているのかがよくわかりとても楽しめた。

金沢おどりでもそういうサポートがあればもっと面白い。それが無理ならパンフレットの解説をもっと充実させるとか。
お客さんに中身をもっとわからせてほしい。

一生懸命舞っている立ち方も、唄っている地方も気の毒である。

金沢おどりは金沢が誇る文化イベントだ。
だが、もっと面白く、もっと幅広くするために、スタッフサイドがやらなければならないことはたくさんある。

にわかラグビーファン日記(1)

きのうからラグビーファンになった。
そしてワールドカップ日本大会が開幕した。

素晴らしい開会式に続き、オープニングマッチの日本対ロシアが始まった。日本が一次リーグを突破するには絶対に落とせない相手である。

それがかえってプレッシャーになったのか、出だしの日本代表は私のような素人が見ても明らかに堅かった。

カチカチ、ソワソワ。

ラグビーは巨漢が押し合いへしあいする大ざっぱな印象があるが、メンタル的にとてもナーバスなスポーツだ。

激しくぶつかり合って倒れこんだ直後につかのまの静寂が訪れる。そこからボールが出るとまた瞬間的に沸点に達する。動と静が絶妙に繰り返す。

小学生6年の時、もし中学生になったら部活動をどうしようか思いめぐらしたことがある。

ラグビー部があったらラグビーだ。
間違いなく、そう思っていた。
体は小さいが、きっと自分にはあっているだろう。
そう根拠なく感じていた。

進む中学にラグビー部がないのはじきにわかった。
よりによってバスケット部に入るはめになったが、ラグビー部が存在していたら、その後の自分の人生も変わっていたに違いない。
バスケットは高校まで半分義理みたいな感覚で続けたが、大学以降何ら未練なくやめた。
ラグビーだったら愛着をもって続けていたような気がする。

その割には、その後まったく興味を持つことなく、生はもちろん、テレビ放送のあるビッグマッチでも好んで見ることはなかった。

が、なぜか思う。このスポーツは自分の感性に合っていると。

この日の試合は30-10で日本が快勝した。
立ち上がりの緊張を見事に吹き飛ばし、その後はほぼ一方的な展開に映った。
このチームは素晴らしく魅力的だ。

あとにわかファンを何日?何回?楽しめるのか。
毎日が面白くなってきた。

Number PLUS 「ラグビー日本代表 超入門」

ナンバー PLUS 「ラグビー日本代表 超入門」
文芸春秋 1200円

ラグビーのワールドカップがいよいよ今晩開幕する。
多くの日本人同様、私も本日より「にわかラグビーファン」になる。

うつのみや書店をうろつき、数あるガイド本の中から選んだのがこれだ。
一番やさしそう、かついろんな方向からアプローチしている気がしたし、何より糸井重里が座談会を仕切っているのが決めてになった。

私は1980年「ヘンタイよいこ新聞」以来の糸井重里ファンだ。
マニアックな世界を噛み砕いて伝えるセンスが抜群で、この人が面白いと言うのならそれは間違いなく面白いものなのだ、と盲目的に信じてしまう自分がいる。

2015年に南アフリカを破った歴史的勝利の裏には、敵の国歌斉唱にびびらないよう事前に南ア国歌を聞きこんだり、試合を裁く審判のジャッジ基準を分析したりと、そこまでするかという徹底した準備があったことが当時の日本代表・真壁と畠山から明かされる。