ミシュランガイド北陸2021

ミシュランガイド北陸版発売

 ミシュランガイドの北陸版が発売された。富山・石川・福井のレストランと飲食店が347軒、宿泊施設が49軒選ばれている。この本は影響力が大きい。☆が付いた店には予約が殺到する。

石川・金沢の強さ

 今回、三ツ星は金沢市の日本料理店「料理
小松」ただ1軒。私は全く存在を知らなかったが、所在地は幸町。なんと我が家から歩いて10分だ。金沢の名店「銭屋」の料理人小松さんが独立して営むお店とのことだ。二つ星は富山4軒、石川12軒、福井2軒。上記の銭屋の他、日本料理「杉の井
穂濤(ほなみ)」、フランス料理「マキノンチ」はよく知っているお店だ。穂濤のご主人である越沢
晃一郎氏は今や金沢の料亭文化を継承する第一人者となられた。マキノンチの牧野浩和氏はまだお若いながら独創性溢れる料理を提供する。一つ星は富山16軒、石川26軒、福井6軒。こう見ると、北陸3県の中で石川県が群を抜いて星の数が多い。食文化が発達し、県の内外から人々が集っている証であろう。

☆の功罪

 野菜を料理店に納入する青果専門店・堀他の浅市氏に話を聞いた。浅市氏はこのミシュランガイドに掲載されている石川県の料理店のなんと50%に納品しているという。こういうプロがバックに控えているからこその名店と言えるかもしれない。浅市氏は語る。「もちろん、お店にとっては非常に名誉なことで、我々納める者にとっても嬉しい限りだ。しかし、いいことばかりではない。☆を取るとその後プレッシャーが大きくなり、ノイローゼになる人も出る。また、観光客が押し寄せ予約が埋まり、古くからの馴染み客が利用できなくなってお店の在り様がガラリと変わってしまう。これに料理人は悩むのだ」。

格付け産業の脅威

 ☆が付いて嬉しいような悩ましいような。いや、もちろん嬉しいには違いないが、「格付け産業」は、あまりに影響力を持ちすぎると思わぬ弊害を産んでしまう。料理の名店は根本的に量より質の世界である。頃合いというのは難しいのだ。

書評:弓と禅 オイゲン・ヘリゲル

外国人哲学者による禅の体得記

 ドイツ人オイゲン・ヘリゲルが、弓道を通じて禅の精神を会得していった体験記である。ヘリゲルは哲学者であったが、はじめ、禅による神秘的な思想の神髄をまったく理解できない。一時は、師・阿波研造が説く意識を超えた無の境地を疑い、矢を的に当てる技術論に走り、破門されるに至る。実話であるが、物語として読んでも面白い。阿波が暗闇の中で射る二本の矢が的を射抜き、しかも二本目が一本目を切裂いていたといういうエピソードは映画のワンシーンのようだ。

現代人に格好の入門書

 ヘリゲルは、当時の日本の諸々の道、精神的態度、生活様式、道徳的、美的、知的な生活形式は、その独自性を禅的な基礎に負っていると表現する。しかし残念ながら現代の日本ではほぼ失われてしまってものだ。ヘリゲル自身も禅について全く理解のおぼつかない存在であり、その彼が数年を要して神髄を体得していく過程が描かれている。よって本書はビギナー目線で書かれている。だからこそ、禅の精神を知るうえでこの書は現代の日本人にとって格好の入門書となる。

不立文字

 禅は、修行によって心身を変容させ、自ら経験しなければ分かり得ない。だから言葉では説明できない。達磨大師が残した四聖句の「不立文字(ふりゅうもんじ)」だ。術は術なきものになり、弓を射ることは、弓と矢で以て射ないことになり、射ないことは、弓と矢なくして射ることになる。この言葉は私にとってまったく意味不明だ。わかったと言うのは、わかったふりをしているにすぎない。わからないことがある、と認識するしかない。

無心、無我、無の境地

 意識を超えた無心の境地に達すること。無心になろうと思い込むことではなく、現実に自己を無化するということ。そのための入り口は、呼吸に集中することとある。呼吸をするほかには何もしない。弓を引くのは、力ではない。力はむしろ抜く。丹田にのみ力を入れ、弓は「精神的に」引く。呼吸にだけ集中するのは瞑想と全く同じだ。そして、ヘリゲルは何年もかけてようやくある境地に到達している。一朝一夕ではなく、それだけ長い年月がかかって辿りつくものと覚悟しなければならない。

日本の叡智を取り戻せ

 この書はスティーブ・ジョブズが愛読していたらしい。日本に根ざしていたものが今や日本になく、海外の哲学者によって紐とかれ、海外の一流人がそれを学ぶ。日本人はこの叡智を失ったままでよいのか。古来日本は、あらゆる「術」を「道」に昇華させてきた。武道・弓道・柔道・剣道・花道・茶道…。それは技術ではなく精神である。その精神性の根底も、教義ではなく無我だ。インド発祥の仏教・禅宗だが、日本で独自性を確立した。この誇るべき日本的精神を学び直す指南書として、今こそ現代人が読み直すべき書である。

ビジネスコンサルタント来社

ビジコンという存在

 株式会社ビジネスコンサルタント(略してビジコン)の若手営業マンSさんが訪ねてこられた。この会社は名前の通り、ビジネス上のコンサルタント業を営む全国展開の大手企業だ。東京が本社で金沢に支所がある。今まで何度も当社にお越しいただきながら、先方の仕事に結びついた実績はない。申し訳ないとは思いつつ、いらっしゃるたびにあれこれ質問責めしてこちらが一方的に教えてもらっている。今回もいろいろ面白い話が聞けたので記録する。

コロナ禍におけるコンサル業

 コンサル業も昨年同時期はコロナ禍で売上が激減した。なんと7割減だったという。企業相手の研修が軒並みキャンセルになったためだ。しかしそこからの回復が早い。東京から講師を派遣するのは顧客に嫌がられ、東京集約型では地方展開できないと判断し、幹部社員を地方に分散させた。ビジコンは講師ができる社員が約100人いるが、その中で特に凄腕と評価される幹部社員が8人いる。「鬼滅の刃」の“柱”のような存在だ。その者たちを東京から地方に移住させた。うち一人が金沢にいるそうだ。
 そして、セミナースタイルも急速にリモート形式に移行した。ビジコンは、東京オリンピックが決定してから、これからの時代はオンライン形式が主流になると読み、対応を準備してきたそうだ。人材の能力も、従来の話術重視からデジタルツールの活用に長けた方向へ転換を図った。これが功を奏して、昨年秋口には前年比9割まで回復したそうだ。

興味⇒情報⇒思考⇒行動⇒成果

 Sさんはまだ20代前半の若手なのに私をはるかに凌ぐ情報と見識を有していた。話の流れで、ビジコン内で常識的に言われている鉄則を一つ教えてくれた。
「興味関心の限界が情報の限界であり、情報の限界が思考の限界であり、思考の限界が行動の限界であり、行動の限界が成果の限界である」
なるほど。成果ばかりを求めても、その前段階が不十分ならば達成はおぼつかない。成果を出すには行動を決め、実行することが必要。その行動の決定には豊富な情報量を分析・思考することが必要。情報を集めるには興味関心が大元になければならない。

卸売市場とコンサル

 卸売会社はこれまでコンサルタント業界をほとんど入れてこなかった。これは当社だけでなく全国的な傾向と思う。人材教育にお金を投じることに抵抗があるという古い体質が未だに根強いのだ。しかし開明的な経営者の中には「コンサルも使いよう」と柔軟に取り入れるところも出てきた。高松青果さんや長印さんなどがそう。そのお陰で、コンサル側も卸売市場・青果卸売会社について理解が深まって来た。当社が今後生き抜いていくうえで必要なノウハウを今ではたくさん蓄えられたことだろう。今まで閉鎖的・自己中心的だったからこそ、目を開ければ伸びしろがあると開き直り、これからは基本的にウエルカムの態度で応対したい。

富山市場の再整備を学ぶ

富山市場の再整備

 金沢市中央卸売市場の再整備計画が一応検討中ではあるが、具体化にはまだまだ時間がかかりそうな情勢だ。それに比べてお隣富山は進行が早い。3年後には新市場がオープンする予定だ。本日、富山市場の再整備に詳しい方から内容を伺った。
 富山市場の敷地は現在37,000坪あり、金沢市場より広い。ただし青果・水産・花きの3部門が営業している。再整備の最大の特徴は、そのすべてを市場にリニューアルするのではなく、市場施設と商業施設に区分けする点にある。市場部分はコンパクトな流通拠点とし、商業部分はホームセンターやスーパーに入ってもらい、そこからの賃貸収入を得ていく試みだ。花きは営業は続けるものの再整備の対象とはしない。

PPP方式

 開発手法は公民連携のPPP方式である。建物の所有者と土地の転借地者はリース会社となる。金融機関からリース会社か資金を調達する。市場関係者にダイレクトに融資するのは、金融機関が貸倒を恐れ嫌がるらしい。
 市場施設:土地は富山市が民間開発業者に30年間貸す。建物は民間開発業者が建て、逆に市に30年貸す。よって行政は土地を貸す収入と建物に払う支出でほぼいってこいとなる。この手法は、行政の財政負担が少ないので富山市としては進めたい方式である。市場関係者(卸・仲卸)は従来通り富山市に使用料を払う。使用料はまだ全く未定だ。国庫補助金がどうなるかで大きく変わるが、開発費用を丸々転嫁するとすれば、3倍程度にはなってしまうらしい。
 商業施設:土地は富山市が民間開発業者に30年間貸す(これは市場施設と同じ)。建物は民間開発業者が建てて民間企業(ホームセンターやスーパーなど)に貸す。

関係者による協議

 具体的な検討は、「コンソーシアムメンバー」というチームを組織して討議する。多い時は毎日、少なくとも週に一度は寄り集まって議論する。どういう市場を目指すか、そのためにどんな規模・機能が必要となるか、だからどういう設備がいるか、という具合にドリルダウンする必要があり、ここを間違えると将来大変な目に合う。

再整備を考える上で重要なこと

 金沢市中央卸売市場は、富山市公設地方卸売市場よりも取扱い規模が数倍大きく、しかし面積は狭いとあって、再整備には立体化が不可避である。立体化すれば建設費用が跳ね上がる。ここが一番の関門なのだが、具体的な話がなかなか出ないで困っている。物流にしてもストック系(土物など保管しながら販売するもの)と通過系(葉物などその日に売り切り出ていくもの)に分けてゾーニングする必要がある。適正な市場整備には相当量の事前調査が必要だ。優秀な物流コンサルの助力が必要となる。
 新しい時代の市場流通は、従来とは違う発想がないと運用できない。そのキーワードが“共有”又は“シェアリング”だ。卸・仲卸がそれぞれに持ち場を確保するのでなく、空間と時間をシェアすること。場合によっては、青果と水産で売場を共有するような試みがあってもよい。また、市場全体で物流会社を立ち上げて共同配送を組織化するというのも新市場では必須機能となるのではないか。以上、課題は山積しているが、金沢市場も富山市場のスピード感を見倣って、検討ペースを早めていかなければいけない。

青果物の週間情報 【2021-W21】

■週の概況 第21週 5/17(月)~ 5/22(土)

【全体】

 現在、青果物の入荷は概ね順調である。春先からの流れを引き継ぎ、葉茎洋菜類は潤沢安値、果菜類は堅調、根菜土物は品目によりけりと部類によって傾向は違うものの、全体として物量・価格とも平年並みだ。今後は品目ごとに順次産地の切り替わり時期に入り、一時的な端境やアップダウンを見せながら、比較的おだやかな方向に進んでいく見通しである。この週は太平洋側で雨模様であり、急激な出荷増とはならない見込みで、安かった白菜・キャベツ・玉ねぎなどは上げ、果菜類は全体に弱含み、高騰が続いた馬鈴薯などは下げに転じるなど、各品目の相場が平年レベルに戻る展開になると予想する。
 石川県のまん延防止等重点措置、および独自の緊急事態宣言で、業務需要がまたしても大きく落ち込むことが必至。大変厳しい状況が少なくとも一か月続くが、昨年起こった巣ごもり需要や新たな消費志向(プチ贅沢品への需要増など)に敏感に対応し、この難局を乗り越えていかねばならない。

【野菜】

 葉茎洋菜類では、レタスは兵庫産から長野産へのスイッチ。ブロッコリーは、県内生産者が出揃う。キャベツは降雨により県外産地は減少の予想だが、県内産に関しては若干の増加。ネギは、茨城産が安定するものの、大分産は作型の端境が続き全体的には品薄傾向は変わらず。菜類では小松菜が県内産のピークを迎える。
 果菜類では、胡瓜、ナス、長ナスは前週同様安定。トマトは県内産も増加し潤沢な入荷が続く。豆類は福島産のキヌサヤがスタートする見込み。
 根菜類は、夏産地の切り替えを見せ全体的にスムーズな移行となる。大根は千葉産と県内産の入荷。人参は岐阜産メインに安定した入荷。馬鈴薯は引き続き長崎産の安定入荷となる。季節商材のらっきょうは県内産の土付きや、鳥取産の入荷を見込む。梅は週前半に小梅の入荷がスタートし、以降は古城、南高が入る。前年の凶作を挽回したいところ。

【果実】

 国内果実では、気温が高まりスイカの需要が高まる。熊本産メインに高知産。群馬産の小玉スイカも増加傾向だ。メロン類は、茨城産メインとなり熊本産の青肉系は終了。赤肉系は茨城、熊本産の入荷。桜桃は無加温物で若干の増加傾向となる。ぶどう類ではデラウェア、ピオーネが顔を見せ始める。びわは露地物に切り替わり潤沢な入荷。
 国外果実では、バナナの入船遅れが続くが、数量的には安定感を維持。NZ産キウイは、ゴールド、グリーン共に安定。特にゴールドは前年を超える潤沢な数が見込まれる。シトラス系はミネオラが終盤に差し掛かり徐々に減少傾向となる。

朝の連続ドラマ小説「おちょやん」:レビュー

杉咲 花 に尽きる

 杉咲花は日本一の女優である。これは私の数年前からの確信だ。とにかくパワーが凄い。表現できる感情を数字で表すと、並の役者より0が1個多く付く。桁違いのパワーだ。だから彼女は今まで、内面に怒りや不満や闇を抱える少女役が多かった。か弱い少女が感情を爆発させるシーンで、そのあまりのギャップに観るものはたまげた。彼女がプッツン切れると空気がビリビリと音を発した。私は昔演劇をかじっていた頃、感情が振り切れる演技を「ドトー(怒涛)」と呼んでいたが、彼女の「ドトー」はまさに圧巻。他を寄せ付けないものがある。ドトーができる役者は華がある。

一皮向けた女王的演技

 その杉咲花が主役を務めた朝ドラ「おちょやん」は、その「ドトー」をグッと抑え込んだ上で、うちに秘めたる情念をさらに重く深く演じ切るという、恐れ入った演技力を見せつけるドラマとなった。ネイティブ関西人を唸らせる完璧な関西弁も話題となったが、おそらく彼女にとっては役を務めるための「前提」「たしなみ」でしかなかったろう。本当の凄さはその先にある。セリフの一言一言にまったくスキがない。目線一つとっても無駄、意味のないものは一切ない。あまりに上手すぎて、共演者が皆下手に見えてしまう。そこがむしろ彼女の欠点だったと言えるほど突出していた。千代が中年の設定になってからは、とても実年齢が23歳と思えない重厚な名演技だった。

悲惨な顛末を逃げずに描いた脚本

 ドラマ自体も素晴らしかった。ストーリーを振り返ると主要な登場人物の多くが不幸、不遇、哀れな末路を辿る。主人公千代は天涯孤独。父は一生ダメおやじのまま留置場で死に、生き別れの弟は満州で殺される。夫・一平は愛人を作って千代と離縁。奉公先夫婦の老舗茶屋は潰れ、その娘は戦争で夫を失う。脚本は人の世の無情・残酷さから逃げず、人生とはそういうものだ、絶望の淵からどう生きるのだと正面から問い、主人公を通じてその答えを見せた。
 重く悲惨な部分をしっかり描いてきたからこそ、最終回の大団円が感動的だった。劇中劇での千代の台詞「あんたと別れへんかったら大切な人たちと出会うこともでけへんかった。あんさんも私も、愛するわが子と出会うこともでけへんかった」。そう語る千代を昔の仲間、今の仲間、養子の娘が客席から、また舞台の袖から見守る。彼らこそが天涯孤独だった千代にとってのかけがえのない家族だ。不幸を踏み越えることで次の大きな幸せにたどり着く。「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなぁ」。日本一の女優が放った見事な決め台詞だった。

もっと笑いを盛り込めた

 あえてダメ出しもする。底流は重厚なドラマだが、喜劇の世界が舞台だけに、劇中劇以外にももっと笑いを盛り込めた。星田英利(ほっしゃん)などがシビアな場面で時折はさむ小ネタが一話に1つ2つ欲しかった。人間関係のドロドロ具合や感情のぶつかりあいが激しいほど、意表をつくギャグが観る者を救い、物語に広がりを持たせる。お笑い芸人がキャストに何人か入っていたのだから、もっとアドリブ的な遊び要素を入れられたはず。喜劇の世界の「おちょやん」そのものを喜劇でコーティングできたと思う。

大女優 杉咲花の出世作

 「おちょやん」はつらく重いドラマではなく、たくましく晴れやかなドラマとなった。ひとえに杉咲花という稀代の女優の実力ゆえだ。視聴率は伸び悩んだと聞くが、この女優の演技を見ずして今何を見るのか。ひときわ光る脇役的存在から、押しも押されぬ主演女優の誕生と思う。

恐怖の大王ついに来たる

まん延防止等重点措置及び緊急事態宣言発令

 政府は石川にまん延防止等重点措置を適用し、金沢市が適用地域となった。また、石川県は独自に緊急事態宣言を発令した。期間は5月16日から6月13日である。行政は飲食店の時短営業はもちろん、外出自粛要請、金沢では終日の酒類提供の自粛を要請する。いよいよコロナ感染が身近に迫ってきた感じだ。

嫌われる石川

 北陸三県では石川県の感染者数が富山・福井より格段に多く、この処置は致し方ない。今、石川県は残念ながら他県から忌み嫌われる存在だ。他県のスーパーのバイヤーさんが当市場に来る頻度が減っている。石川に行って商談するのを控えろと本部から指示があるようだ。当社社員が他県で開催される会議に出席するのも、主催者サイドからは、やんわりと辞退してほしいというムードが伝わってくるそうだ。

対岸の火事にあらず

 卸売市場の現場は「密集」「密接」と隣り合わせの環境だが、今まではのんきなもので、コロナは対岸の火事だった。もういつ目の前に感染者が現れ…いやとんでもない、自分自身がそうなることも決して低い確率でない状況になってきた。幸いにして社員に感染者は現時点で出ていない。が、関連会社のパートさんに熱が出て、その10日後の昨日、陽性反応が出た、という知らせがあった。これまた幸いにして、保健所からの指示通りに会社内を消毒し、全従業員の健康をチェックして、濃厚接触者なしとの裁定をもらったと報告を受けてほっとした。だが油断はもちろん禁物で、明日やあさってに全く別の問題が勃発するかもしれない。

恐怖の大王との闘い

 恐怖の大王がついに来た。より感染しやすく、より重症化しやすい変異株である。今までの意識では通用しない。もはや内輪から感染者が出るという前提で準備を進め、心構えしておくべきであり、今まで以上の自己防衛体制を取ることが必須だ。

加賀太きゅうりを児童に配る

加賀野菜「太きゅうり」の児童への配布

 金沢市の農業政策として、5月13日より、金沢市立小学校の生徒に加賀野菜の「加賀太きゅうり」を一人に一本プレゼントする事業が始まった。

昨年はやや成功やや失敗

 太きゅうりは家庭消費よりも外食産業で使われる比率の多い食材だ。今回の緊急事態宣言で業務需要がさらに落ち込むのは必至であり、行き場を失った太きゅうりが暴落する心配がある。これは昨年も起こってしまった事態だ。昨年も金沢市は動いた。急遽、給食で太きゅうりを大量に使い、その材料費として市が補填したのである。これは需給調整には効果があった。だがいちどきに一挙の投入であったため、いわゆる根こそぎ状態になってしまい、一般の市場流通分が消えてなくなった。極端すぎたのである。また、その際は市場側が一切タッチしていなかったため、我々としては、混乱だけが残ったという側面がある。

今年はいい成功事例に

 今年は違う。40校の小学校4~6年生約8300人が対象であり、必要本数は総計8300本と、かなりの数量に昇るものの、学校別に日をずらし、一日当たりにすればそれほどの負担ではなくなる。流通面では市場側がサポートし、我々卸売会社と仲卸業者と市場の物流会社がしっかり管理して届ける。この事業は、加賀野菜を認証する金沢市の機関「金沢市農産物ブランド協会」と我が社の社長が智慧を出して実現した事業だ。生産者からはレシピ集の冊子を提供してもらい、太きゅうり本体とセットにして専用の袋に入れて児童に渡す。農産物の販路と相場を堅持すると同時に、行政と産地と市場と学校が連携する食育事業となる。

首長のワクチン優先接種の問題点

今年はワクチン騒動

 今度はワクチン騒動だ。昨年はマスクがないとギャーギャー、今年はワクチンまだかでブータラである。まったく同じ構造で進歩がない。政府の後手後手感は否定できないが、マスコミの無責任なお騒がせぶりも相変わらずだ。ワクチンネタはこの先、手を変え品を変えあと数ヶ月続くだろう。そして今話題の中心はは、首長の優先接種スキャンダルである。

首長のワクチン優先接種問題

 地方公共団体の首長何人かが、優先接種で半端に余ったワクチンを打った。中には40代の首長もいた。首長だからといって優先されてよいのか。不公平ではないか。ましてや65歳以下は完全に職権乱用だろう。…批判の内容はだいたいそんなところ。わかりやすい話ではあるが、実はいくつか要素がごっちゃに入り込んでいる。①首長、②余ったワクチン、③高齢者でない。この3点を整理して考える必要がある。

①首長は優先されるべきか

 優先されるべきだ。優先どころでなく、誰を差し置いてもイの一番に受けてくれ。地域を取り仕切る一番の重要人物である。真っ先に接種するのは当然だ。

②余ったワクチン

 余ったから使ったというのがこすっからしい印象になった。役人の発想は「余ってしまった。どうしよう。捨てるのも非難される。誰かに使わねば。まずは首長がいいのでは」という短絡的なものだ。おそらく当の首長でこれを喜んで受け入れたのは少数ではなかろうか。「いいのか、わしで?」というのが普通の人間の感覚だろう。「いいのです。いや、むしろ首長が先陣を切ってくれないと、他の者に回せません」と小役人が説得したシーンが目に浮かぶ。余ったものなど使わず、ワクチンが届いたその日に、一番目のワクチンを堂々と使い、堂々とテレビで公開すればよかったのである。

③高齢者でない

 若い首長こそ、届いたその日にイの一番にテレビカメラの前で打つべきだったのだ。医療従事者にさえ先んじて。「私は自分に課せられた使命と責任を考え、本県で一番目に打つことを理解していただきたい。この後は役所が定めたやり方にしたがって、市民は順番に接種していただく」と宣言すればかっこよかった。

人間社会全体としての優先順位

 医療従事者と高齢者を優先したのは、市民の命を守ることを前提とした目線で、これはこれで一つの考え方である。私の価値観では、要職にある者も優先されてよく、高額納税者も優先されてよい。政治・経済をひっくるめての人間社会という目線だ。優先順位はどうあるべきか、その議論を交わすのがマスコミの役割であるのに、人を貶めるネタ探しばかりに奔走しているような気がする。声が大きい人の意見ばかりがやかましく聞こえる。難儀な世の中だ。

睡眠の質が上がったような

テレビでも放映

 昨日の夜、熟睡方法についての特集番組をやっていた。残念ながら私が取り入れたいと思ったノウハウは少なかったが。

睡眠の質上げはマイブーム

 このブログでは何回か、“睡眠の質”について書いてきた(キンドル(4/29)、ヤクルト1000(4/24)、瞑想(3/21)、年齢と生活(2/23)など)。最近のマイブームと言ってよい。床に入ったらスッと寝入って、一度も目が覚めず、おしっこに起きることもなく、ぐっすりと起床時間まで眠る。そして定刻になったらスキッと目が覚め、快適な一日のスタートを切る。この理想を追い求めてあれこれとやってきた。裏を返せば、歳を取って、質の良い睡眠をとらないと一日のパフォーマンスが激オチするという現実があるのだ。もう若い時のような無理は効かない。会社の役に立つ存在であり続けるには、良い睡眠をとることは必須条件と思う。

そして成果が!?

 気のせいかもしれない。たまたま数日だけかもしれない。が最近、このキーワードが現実化してきた感がある。例えば妻の証言だ。妻は私より就寝時間がずっと遅い。以前は妻が寝室に入ると私は目を覚ましたようなしぐさをよくしたらしい。しかし最近それがなくなったと言う。
 私自身、この1か月、夜中にトイレに起きた記憶がない。今、起床は3時20分にセットしていて、今も時々は夜中に目を覚ますが、一度も目覚めないまま目覚まし時計が鳴ることも最近ちょくちょくある。
 肝心のスッキリ感および一日のパフォーマンスはどうか。これも気のせいではあるが、以前よりは“ちゃんと寝た”感じが強い。かなりの部分、暗示や思い込みも入っているので鵜呑みにはできないが、人間、自己暗示も大事な能力である。

複合効果

 もし、睡眠が本当に向上しているとすれば、明らかに複数の要因の合わせ技だろう。日中適度の運動をすること、毎日の就寝と起床時間がだいたい決まっていること、入浴は就寝1時間半ほど前で湯船に15分間浸かること、風呂から上がったらスマホなどブルーライトを発するものを見ないこと、酒は飲まないこと、代わりにヤクルト1000を飲むこと(笑)、暇を見つけては瞑想を行っていることなどだ。残された工夫は、入浴後から床入りまでの間の部屋のライティングだ。徐々に暗くしていけば、理想的環境が揃うだろう。だがこれは妻・息子と私とでは3時間以上生活サイクルが違うので難しい。そこまでこだわることもないだろう。

睡眠の質の向上には時間がかかる

 (繰り返す。)もし、睡眠が本当に向上しているとすれば、それは時間をかけて徐々に精神と肉体が順応した成果と言える。上記複合的な試みは、始めて数か月経つものの、すぐに効果は現れなかった。即効性は期待するな。なにごとも時間をかけてじわじわとが大事である。(また繰り返す。)だがもし、睡眠が本当に向上しているとすれば、これは自分にとって大きな財産だ。決して手放すまい。そして上には上がある。ある人は「毎日が絶好調」と断言する。私もいつかそう言ってみたいものだ。そのレベルにはまだほど遠い。成果が現れるのは時間がかかると再度肝に銘じ、生活改善を続けていきたい。