入社式と新入社員研修

入社式と新入社員研修

4月1日、新年度である。
今年度、3人の新入社員を迎えることになった。
男性一名に女性二名。
大卒、短大卒、高卒一人ずつだ。
ご縁あって同じ会社で働くこととなる。
本当にありがとう。

青和会というわが社の社員親睦会の松本会長が歓迎の言葉を放った。
「あなたたちは会社の宝です」。
本当にそのとおりだ。

そのあと、私が講師になって3時間半の研修を行った。
卸売市場の仕組みをおおざっぱに捉えて、会社のことを理解するための講座だ。
なるべく眠くならないように、聞くだけにならないようにと工夫するが、どうしても私が一方的にしゃべる時間が多くなる。

ラスト30分は社員・社会人としての心構えだ。
・あいさつの重要性
・慣れればできる仕事が50%、努力すればできる仕事が50%、そして自分なりに改善を求め、自分なりに発想して高めていく仕事が+α%。その+αがあなただけの才能だ。
・食べれば人が健康になる野菜・果物を販売すること。存在そのものが社会のお役に立つ仕事だ。こんな仕事につけることは本当に幸せなことだ。

毎年この研修を受け持っているが、結局は自分で自分の心を洗うような結果になる。
ついつい売上がどうの利益がどうのと数字ばかりに頭が占拠され、根本のことが疎かになる。
新入社員に訓示する体を装いながら、自分自身の汚染された心を浄化している。
なぜ働くのか、この会社で働くことの誇りは何か、何をこの会社ですべきなのか。
いくつになっても、何度でも何度でも繰り返し考えなければいけないことだ。

桜満開

河北潟の母恋街道千本桜である。

動画は1分程度だが、フルで撮影すると時速60㎞で4分間も桜並木が続く。

今年、金沢市は3月23日が開花日だった。これは観測史上最も早い。温暖化の影響だろうか。

消費税の総額表示義務化に反対

2021年4月1日から小売業や飲食業で総額表示が義務付けられる。
いわゆる“内税”の表示義務だ。

かつて消費税5%だった2004年から約10年間、総額表示は義務だった。
しかし税率が14年4月に8%、19年10月に10%へ段階的に引き上げられるにおよび、消費税転嫁対策特別措置法で外税表示も認められるようになった。
が、その特例期限が2021年3月で切れるというわけだ。

私は、総額表示には反対である。
外税制度(税抜き価格表示)が正しいあり方だと思う。

ダイレクトな話だが、日々の商いで卸売業者は小売業者と極めて厳しい価格交渉をしている。
総額表示になることで、小売業者の卸売会社に対する価格引き下げ要求が強くなる恐れがある。
例えば、今まで店頭価格「98円(税抜)+消費税」と表示していた商品が総額表示では「106円(税込」となるため、お客にとっては値上げと錯覚する。
すると売上が鈍るので、小売はなんとか税込98円で売りたいと思うようになる。
98円(税込)=91円(税抜)+8%(消費税)なので、同じ商品ならば実質7円の値下げだ。
税込98円で売る道は二つだ。
小売が自分の利益を削るか、仕入れ値を下げさせるか。
どちらかが(或は折半で?)この差額7円を負担しなければならなくなる。

表示の義務化だけでこんなバカなリスクが生じる。
値引きせずに適正に表示すればいいだけではないか、という綺麗ごとの理屈はある。
だがもうすでにユニクロなどは全商品を9%値下げし、表面上の価格据え置きを決定している。
薄利多売の青果物で8%の値下げをすればその瞬間に赤である。
価格競争の実態は生易しいものではないのだ。

そもそもお役所がいうところの総額表示義務化の根拠がわからない。

根拠その1)消費者は、いくら支払えば購入できるのか、値札や広告を一目見ただけで簡単にわかるし、店舗間の価格の比較も容易になる。
⇒消費者はもっと賢い。食品等8%、その他10%乗せるだけの計算だ。支払いにシビアな消費者は簡単にこなす。

根拠2)税抜き価格表示によって生じていた煩わしさが解消され、消費税に対する国民の理解を深めることにもつながる。
⇒逆ではないか。税込み表示で煩わしさが増える。正味の価格がわかりにくくなる。商品の代金は代金、税は税と区別し支払う習慣が、国民の税金に対する理解を深めるのではないか。

青果物の週間情報 【2021-W14】

■週の概況 第14週 3/29(月)~ 4/3(土)

【全体】
 生産や消費の状況よりも、会計年度末という経済事情が絡む、一年でも特殊なタイミングだ。特に週の前半は売り手側の攻勢に対し買い手側は渋りがちとなり、動き自体は停滞しがちになるだろう。青果物の出方はおおむね順調なので、野菜の相場は下押しの品目が多くなると予想する。
 首都圏の緊急事態宣言が解除され、若者を中心に多くの人出が戻ってきた。これに業務需要は敏感に反応し、少し上向いてきた感はある。しかし、解除後の全国的な感染急増も心配されるところで、この週は桜が満開となり最高の行楽日和を迎えるものの、消費動向は極めて不透明な状況だ。

【野菜】
 葉茎洋菜類は全体に横這いの予想ながら、動きは重たい見込みだ。キャベツは安価で潤沢であり、特売用には最適である。ほうれん草・小松菜など菜類も値ごろ感がある。ネギはまだ不作傾向から脱しておらず、高値基調がしばらく続きそうだ。また、モロヘイヤのような初夏に向けての季節商材も少しずつ顔を見せてきた。
 果菜類は増量が順調に進んいる品目が多く、弱含みで価格を下げるだろう。サラダ需要が高まって他の部門と比べ動きは悪くない。ただしトマトは大玉クラスで引き合いあり強含みとなるだろう。
 根菜土物類は単価高品目が多いこともあって売れ行きにはブレーキがかかった感あり。タケノコは各産地出そろって連日の販売となり、増量で下げるのは確実。ようやく一般家庭に売り込める価格帯となるだろう。ただし徳島以外は裏年であり全体数量は少ない年となる。

【果実】
 国内果実は施設物が増えてくる時期だ。さくらんぼ、西瓜、メロン、マンゴーなどが目立つ。ビワも顔を出してくる時季だ。柑橘類は漸減傾向で、主役級が終了し、樹熟デコポンや小夏、セミノール、カラマンダリンといった脇役クラスが増えてくるタイミングとなる。イチゴやりんごは潤沢な入荷を見込む。
 輸入果実はバナナがフィリピンの干ばつにより数量減の上げ模様だ。シトラス系も数量が伸びず、GFやレモンは上げる見込みであり、オレンジにも影響してくるかもしれない。アボカドは冷害で少なく、今後中長期的に見ても上げ相場が続くと思われる。国際政治的な背景もあって注目度が高い台湾産パインは、通関が順調に切れるかが増減の決めてとなっており、この週の流通量は不安定だ。

映画「種まく旅人~華蓮(ハス)のかがやき~ レビュー

この映画は金沢のれんこん農家を舞台にしたもので、私にとってご当地映画だ。
2019年9月にクランクインし同年10月には撮影終了、2020年2月に編集も完了した。
しかしコロナ禍で公開が延び延びとなり、ようやく今年4月2日に全国公開、ご当地石川県のみ3月26日より先行公開となった。

うちの会社は少額ながら協賛企業に名を連ねている。
映画のエンドロールでちゃんと会社名が流れてきた時はほっとした(笑)。

主演は栗山千明、平岡祐太。
栗山千明は、地域農業の実態を視察に来た農林水産省の役人・神野恵子役で、平岡祐太は加賀れんこん農家の息子・山田良一役だ。
良一は農業を嫌って大阪の信用金庫で働く身だが、実家の父が脳梗塞で倒れてしまう。
家は多額の借金もあり、良一は農業を継ぐか畑を売却するかの決断を迫られる…というストーリーである。

山田家のようないわゆる個人農家=家(父・母・子)の経営体が現代ではいかに厳しいかが、映画前半でかなり暗く描かれる。
一方で「高津農園」という名の会社組織が対照的に描かれ、そこでは女性の就農モデルについて問題提起がなされる。
今の農業が抱える問題、「後継者不在」と「女性の就農の在り方」に正面から向き合っていて評価できる。

そもそも映画の製作目的が地方の第一次産業に携わる人々の生きざまを描くことなので、登場人物達は基本的に善良で真面目である。
また、金沢の街並みや名所も織り込んで、ちょっとした観光PR映画の意味合いも帯びる。
よって役者の演技は、いわゆる日本アカデミー賞を争うような複雑な役作りではなく、もっとわかりやすくて(失礼ながら)ちょっと“くさい”演技・演出で進行していく。
ストーリーはほとんど読み筋通りに進行し、紛れはほとんどない。
安心して最後まで観れるし、最後はホロリと感動もさせてくれる。
非常にまじめな姿勢で仕上げた良質の正統派作品だ。

劇中、栗山が「日本の農業は未だ男尊女卑の風潮が根強く、女性の農業への進出を阻害要因になっている」と論じる。
男尊女卑…これはちょっとひっかかるところだ。
的を射ている部分は確かにある。
農業関係の会合でしゃしゃり出てくるのは親父ばかりだ。

だが、男を尊び女を卑しんでいるニュアンスとは違う気がする。
少なくとも、私が知る限りの農家の女性は、強く・元気で・明るい。
父ちゃんよりもよほど快活だし、たいがいは夫婦仲良く支え合っている印象だ。
女性の就農の在り方については、私ももっと地元農家の有様を調べてみたい。

映画は突っ込みどころも少なからずある。
東京からやって来た恵子は、いつのまにか良一よりも金沢に根付いている。
農林水産省はたかが視察でそんなに長期に出張できるのか。
良一の恋人役は農業を激しく拒絶していたくせに、いきなり泥田に入ってレンコンを見事に収穫していく。
脳梗塞で左半身が不自由になったはずのオヤジは、極太のレンコンをボキッと両手で折る。

まあ、そんなことはささいなことだ。
栗山千明は「呪怨」「死国」「キル・ビル」のイメージで若いころは怖い役が多かったが、最近はすっかりイメチェンし優しく明るいキャラが定着した。
この映画も好演だったと思う。
平岡祐太は人柄の良さが滲み出ていた。
この映画によって加賀れんこんの魅力が幅広い人々に伝われば本当にうれしい。

最後、どうでもいいことではあるが、私が働く金沢市中央卸売市場でもロケがあった。
だがこともあろうに青果売場ではなく水産での撮影だった。
レンコンをめぐる話なのに青果売場がまったく出てこないのはけしからん。
この点だけは厳重に製作会社に抗議したい(笑)。

台湾産パイナップルの話

この春から夏にかけてブレークしそうなのが台湾産パイナップルである。
味や栄養がどうこうではなく、国際情勢から出てきた話だ。

中国は3月1日から台湾産パイナップルの輸入を停止した。
害虫が発見されたというのが中国側の理由だが、これは表向きであって、実際は悪化する中台関係を背景に、台湾に対する圧力ではないかと噂されている。

台湾で産出されるパイナップルは42万トンで9割が台湾国内で消費され、残り1割の4万トン強が輸出に回る。
さらにその4万トン強の97%が中国仕向けだ。

この4万トンが行き場を失ったため、台湾では国内でのパイナップル消費運動が起こるとともに、日本への輸出を拡大しようという機運が高まっている。

日本の国民も台湾を助けられるのならば買い支えたいという思いが強い。
もともと双方は関係が良好であった上に、近年では対中国への警戒心が双方の共通の問題意識となっている。

東日本大震災の際、及びコロナ禍でも台湾からの支援はすごかった。
東日本大震災…台湾から日本への200億円の義援金、
新型コロナウイルス…台湾から日本へマスク200万枚の無償提供。

今度は我々が台湾を助ける番だ、というわけだ。
今後、日本にはこれまでにない量の台湾産パインが輸入される見込みだ。
実際、ニュースで中国の輸入停止を知った人々から、スーパーや果物屋に「台湾のパイナップルはないの?」という問い合わせがたくさん入っているそうだ。

台湾産パインは芯まで食べられる品種を多く作っている。
(ただし、うちの販売担当の加藤君によれば、芯はやっぱり筋っぽいのが口に残るので、無理して食べることはないと言っているw)

残念ながら、3月上旬はごくわずかしか輸入されず、売り切れが続出した。
これは台湾におけるパインのシーズンの問題である。
品種や栽培地によるが、一番潤沢に出回るのは4月~7月ごろだ。
よって、これからは目にする機会が多くなりそうだ。

チコちゃんの教え:野菜とくだものはどう違う?

3月19日(金)放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」でお題となった「野菜とくだものはどう違う?」は、私にとっても勉強になった。

今日までの私の認識は、「一年草は野菜、木(樹)に成るのが果実。だから、メロン、スイカは野菜が正しいが、卸売市場では食生活に合わせ果実部で取り扱っている」というものだ。 チコちゃんの答えも大体こんな感じ。 が、私の認識よりもきちんと分類していたので以下に記録する。

お題:野菜とくだものの違いってなに?

答え:バンラバラ 明確な定義は実はない。 省庁や学会によって分類のしかたが違う。

1)農林水産省が定める分類 野菜は、1年で種まきから収穫までを終える草本食物(草)。 くだものは、2年以上栽培し、果実を食べるもの。 よってイチゴ、スイカ、メロンは野菜。 パイナップルはくだもの。草に成るが、2年以上栽培されるからである。

2)文部科学省が定める分類 野菜は、基本的に草に成る食物をいうが、通常の食生活でくだものとして食べるものはくだものに分類。 日本食品標準成分表での食品の分類に適用される。 よってイチゴ、スイカ、メロンはくだもの。

3)園芸学が定める分類 野菜は、食用にする草本性植物のことをいう。 よってイチゴ、スイカ、メロンは野菜。 ただし、これらを「果実的野菜」という。 パイナップルはくだもの。ただし、草本植物であるので、野菜とも言える、と解釈する。

すなわち、目的によって分類が異なっている。 農林水産省は、生産面に注目するため、栽培期間を重視する。 1年で終わる草と2年以上にわたり栽培するもの(果樹、多年性草本)とでは、農業政策が異なってくるため、ここで線引きする。 一方、文科省は栄養情報の提供という面から、通常の食生活に沿った分類としている。

こうしてみると、卸売市場は文部科学省と同じ立ち位置で、実際の食生活に沿った販売をしていることになる。 ちなみに、バナナやパパイヤもパイナップルと同じである。 また、レモン、ゆず、かぼす、すだちは、木本性であるから果実となるが、用途では野菜であるため、園芸学的には「野菜的果実」となる。 アボカドは完全にくだものである。

以上

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』レビュー

まず、鑑賞後、私は大きな思い違いを2つもしていたことが発覚した。

●思い違いその1。
エヴァンゲリオンはシンジやレイ、アスカ、ミサトの物語だと思っていた。
だが違った。
「私、庵野秀明をご覧ください」という映画だった。

解釈、ではない。
オーラスのシーンははっきりそう宣言しているに等しい。
庵野秀明の出身地・山口県宇部市の宇部新川駅が舞台となり、成長し声変わりまでした主人公が恋人と駆け出して映画が終わるのだ。
「シンジはわたしです。本作品はわたしの世界観がすべてです」ということだ。

創作の世界では「作品が一人歩きを始める」ことがよくあるというが、この映画は真逆だ。
作品ではなく「作者」が一人歩きしてしまった。
エヴァとは何だ。
エヴァとは私自身ではないか。
そう開き直ってしまえば何をしても許される。
綾波が輪島の千枚田で田植えをしようが、2台のエヴァが中学校の教室内で格闘しようが、碇ゲンドウが精神世界の電車にワープして来ようが、死んだカヲル君がまたぞろ語り始めようが、何でもありだ。
なぜならすべてが庵野秀明の世界観だからである。
庵野秀明の“わたしを見て”を是とするファンには、本作は“素晴らしい”映画となる。
が、私のように“あんたの頭の中は興味ない。シンジやレイ、アスカが何処に行き着くのかが見たいんだ”という者にとって、この結末は“何じゃそりゃ”なのだ。

●私の思い違いその2。
新劇場版 序・破・Q・:||は、テレビアニメ版・旧劇場版で物語を終わらせることができなかったことに対する贖罪の映画だと思っていた。
「前作は失敗しました。でも今度はちゃんとやり直します」ということだ。
だが違った。
これは贖罪の映画ではなく、25年間のエヴァ全史を肯定し、まとめて終結・卒業するための映画だ。
キャッチコピーにある「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」とはそういう意味だ。

テレビ版の「おめでとうパチパチパチ」も旧劇場版の「気持ち悪い」もすべてあるべくしてあったシーンであり、渚カヲルとはそのパラレルワールドを渡り歩いて世界を繋ぐ存在で、繰り返される円環の物語の目撃者だというのだ。

…なんといさぎ悪いことか。
(「いさぎ良い」の反対語は「未練がましい」だが、ちょっとニュアンスが違うのでこの変な言葉を使うw)
テレビアニメ版は放送スケジュールに追われ、終盤は作品の体をなしていなかったし、旧劇場版はストーリー的に破綻し、なんとも胸糞悪い「Bad End」になっている。
学生劇団であるまいし、広げた風呂敷を回収できないのはプロの仕事ではない。
私は庵野秀明の天才的感性に大きな敬意を払いつつも、エヴァの過去作品は明確に失敗品であったと思っている。
だから、過去作は明確に否定して決別し、新にやり直した作品を待望した。
だが、製作者の思いは過去作も全肯定ということのようだ。
これは大きな思い違いと言わざるを得ない。

●以下は上の2つの思い違いを踏まえた上での感想である。

・この映画が良かった点
完結したこと自体は本当に良かった。
もやもやを引っ張るのが一番よくない。
製作者サイドの「これで終わり」というメッセージを映画から強く感じ取った。
「鬼滅の刃」のコミック版の評価でも書いたとおり、作品をちゃんと終わらせることは極めて重要なことである。
ラストの駅のシーンでは、まさかまさか、すべてはシンジ(=庵野秀明)の夢だったというオチかと一瞬怖れおののいたが、そうではなかったようだ。

・この映画が良くなかった点
あくまで個人的な思い入れだが、エヴァンゲリオンの肝はシンジとレイである。
綾波がどこに行き着き、シンジがどう変化するのか。
それが腑に落ちる結末ならば私にとって「Good End」である。
だが本作の綾波はあまりにもはかない。
「黒波」が白くなってチュルンと消えるなんてあんまりだ。
また、アスカがクローンであることが明かされるが、このような悲しい存在は、綾波一人で十分ではなかったか。
最後、シンジが救世主と言える存在に成長し、ポッと出のマリがスーパーガールを演じるのに対し、25年にわたってメインキャストを務めてきた二人のヒロインに、このつれない仕打ちはどうなのだ。
結果的にマリがいたから本作は幕を引くことができた。
レイ、アスカではなくマリに頼らざるを得なかったのは残念な顛末だ。
そして本作のラスボス・碇ゲンドウがあまりにちょろい。
彼が目論む「人類補完計画」の真の目的は妻ユイと再会するという極めて個人的な願望だった。
この歪んだ動機のアイディアは素晴らしい。
それを支える冬月コウゾウのいかれ具合もいい味だ。。
しかしその戦いざま、死にざまのなんと情けないことか。
人類滅亡を招いてまでやるつもりのくせに、息子が怖いだの初めて孤独を味わっただの、ヘタレにもほどがある。
余談ながら一緒に映画を観た妻(エヴァの知識は乏しい)は、2時間30分の上映時間の半分はスヤスヤモードだったが、観終わって開口一番「ゲンドウがダメすぎて話にならん」と切って捨てた。
おお、意外とちゃんと観てるやないけ、と見直した。

・この映画を理解できたか
裏側に精緻な世界観が構築されているようで感心させられる。
複雑で自力では理解できないので、YOUTUBERによる解説動画などを観て参考にした。
結論としては理解できてもできなくても、作品に対する評価に影響はしないと思った。
アダムスがどうでリリスがどうで、カシウスの槍だ、ニアサードだフォースだ…
ふ~ん、そういうことなんだぁ…。
………で?
理屈がわかったところで話が面白くなり、感情が揺さぶられるわけではない。

・庵野秀明ワールドについて
基本設定は近未来SFアニメである。
なのに若き日の庵野秀明の目に焼き付いた原風景をそのまま映像化する手法はいかがなものか。
思い切り昭和チックな光景を多用し、精神世界の表現もかなりレトロである。
これではエヴァンゲリオンでなく庵野秀明の頭の中を覗いているに過ぎない。
“一体これは何を見せられているのだ?”という気分に何度かさせられた。
仮に同じテーマは描くにしても、作品設定上のオブラートで包むのが創作の“作法”ではないのか。
ダイレクトに自己投影したいのなら、はじめからSFアニメの衣をかぶるなよと言いたい。
庵野秀明は天才だ。尊敬する。
だが、エヴァになると正気を失ってしまうように見える。
よほどエヴァは彼にとって特別なものなのだろう。
だから次作「シン・ウルトラマン」はいい意味で力が抜け、「シン・ゴジラ」に続く傑作になるのではないかと勝手に期待している。

さらば西念町交番

金沢市中央卸売市場の正門前に交番がある。
名前を「西念町交番」という。
47年間にわたり市場およびその周辺の防犯に寄与してくれた交番であるが、この3月24日をもって移転することになった。
地域周辺の環境変化や施設の老朽化が理由である。
移る先はここから約800メート離れた場所となり、残念ながら卸売市場を真ん前で見張る立地ではなくなる。

実はこの交番が建っている地は我が社の地面である。
昭和47年(1972年)に金沢市と市場運営協会が石川県警察本部に陳情し、昭和48年5月1日に設置されたものだ。
市場運営協会が建設し、警察に寄付するという手法を取ったそうだ。
敷地となったのは市有地約58坪だったが、それを当社用地と等価交換したのである。

市場正門の目の前に交番があることは、治安の面で大きな意味があった。
移転をもって犯罪が増えるわけではなかろうが、今後市場は、自主的な管理・運営を強化すべきではないか、との議論が出ている。
そのとおりだと思う。

市場に駐車する権利のない車が許可なく無断駐車するのが問題になっている。
商品の盗難事件も残念ながら起こり得る。
交番は一定の抑止効果があったと思うが、その加護はもうなくなってしまう。

また、市場正門前は車の交通量が激しく、ターレーなど業者の運搬車もひっきりなしに出入りする。
信号がないので、すべて一時停止しながらドライバーの自己判断・自己責任に安全が委ねられる。
事故の多い危ない場所だ。
市場関係者全体で安全意識を高め合う試みが必要だろう。

さらば西念町交番。

源助大根菜の種まき

昨日のことだが、子会社「ファーム菜四季」の河北潟農場に顔を出した。
周年栽培できるようにハウス内で作っているのが「大根菜」だ。
今日はその播種(はしゅ 種まきのこと)の手伝いをさせてもらった。

と言っても、実際は「手伝い」になってない。
むしろ足手まといである。
この前“種まきのやり方を知っておきたい”と言ったら“来週やれますよ”と農場長が段取りしてくれたのだ。
結局ど素人の私につきっきりで教えることになるので、手伝いどころか逆に時間のロスになる。
申し訳ない。
だが二度三度と回数を積めば少しは手伝いと言えるかもしれない。

種まき一つとっても、なんとも気の利いた農具がある。
写真の種まき機は、車が回転することによってまず前輪が土を少し掘る。
直後にベルトコンベヤ式に種が一粒ずつ土の上に落とされる。
さらに後輪に連結した弁のような金具が土を寄せて種を土中に埋める。
最後に後輪がローラーになって土を平らにならす。

私の役目は種まき機をまっすぐ押すことだけだ。
部分的にはシンプルな構造ながら、本当によくできている。
農機開発の仕事に就いている人は、小中校時代、図工や技術が得意だったに違いない。
ファーム一年目と二年目はすべて手作業で播いていたというから、かなりの能率アップだ。

播種後1週間でこんな感じ

私がちゃんと播けていれば、一週間後にはパラパラっと芽が出はじめる。
さらに一週間経つと、全体が芽吹いて大きさも揃ってくる。
心配だが楽しみである。

播種後2週間でこんな感じ

この「大根菜」は加賀野菜の源助大根の種を使った「源助大根菜」である。
種の袋には「菜取り用」とある。
何でも、種を採取するとき粒の大きさで選別し、大きい種は大根本体を作る用に、小さい種は菜っ葉栽培用に仕分けて製品化しているそうだ。
だから、菜取りせずにそのまま育てればやがてちゃんとした大根に育つ。
こんな小さなものからあんな立派な大根ができるとは。生命は神秘である。

微細な水がシューッと出ている

この後、灌水チューブを使った水やりを行った。
水圧と角度を微調整すれば、勝手に水やりが完成する。
これまた、ただチューブに穴を開けた単純なものだが、物すご精緻な加工と工夫の賜物である。
ど素人にとって農業は、感心・びっくりで埋め尽くされた世界である。