輸入果実のオープン箱

輸入フルーツの物流で顕著なことがある。
段ボール箱のふたがなくなってきている。
わが社の販売担当・加藤君は「オープン箱って言ってます」と教えてくれた。

ここ数年で急激に増えてきた形態だ。
もちろん、環境資源を配慮しての取り組みである。
ふたを付けずにパレットに組み上げる。
上の箱がふたの代わりとなる。
一番てっぺんの段にだけ大きな一枚紙をかぶせることもある。

このやり方で雨や異物混入の恐れはほとんどない。
これで済むのならこれに越したことはない。
紙資源の節約になるし、ゴミも減る。
荷の扱いも楽になる。

ただし、何でもかんでもふた無しというわけにもいかないそうだ。
傷がつきやすいフルーツはNGだ。
イチゴなどやわらかいものは特にいけない。

ふた無しが一般的になると、むしろなんで今までこうでなかったのかが不思議になる。
また、日本の青果物はなぜ相変わらずふたが有るのかも疑問になる。
特に日本の流通は過剰包装が多いことで悪名高い。

しかし、日本で普及するのも時間の問題であるように思う。
ふた無し、慣れてしまえば当たり前。
発想の転換の一種だ。
世の中の仕組みにはまだまだ改善の余地があるということだろう。

パラサイト 半地下の家族:レビュー

2020年のアカデミー賞作品賞を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観た。
(日本での上映は2019年12月から)

映画前半部分は、主人公一家が身を欺いて富豪の家に寄生する様がコミカルタッチで描かれる。
普通に面白い。
しかし後半になるとトーンが一変する。
富豪一家も知らなかった秘密の地下室に第三の家族が寄生しており、上流階級層から下流層に向けた差別意識も徐々に露わになって最後は大惨劇が起こる。
ホラー調の悲劇だ。

韓国は日本以上に階級格差が厳しいと聞く。
その社会問題に正面から切り込んだ作品と言えなくもない。
しかし私はこの映画は基本的に娯楽映画と感じた。

まずどうしようもないバッドエンドにも関わらず後味が悪くない。
ラスト近く、洪水で半地下の住居が水没しても絶望感はなく、便所から汚水が噴き出してもカタルシスすら感じる。

最後、主要人物が何人も死ぬ展開になるが、あまり悲壮感はなく、どこか夢心地の気分にさせる演出を施している。

ポン・ジュノのエンターティメントへのこだわりではなかろうか。
韓国社会に現に存在する格差社会にメスを入れつつも、観客との間に絶妙の距離を作って暗黒の度合いを緩和する。

だいたいが主人公一家にリアリティがない。
それは恐らく意図的なものだ。
みな頭がすこぶる良いのだ。
極めてずる賢く、感性も豊かであり、行動力も抜群である。
こんな優秀な人々がなぜ下層階級から抜け出せないのか。
反対に、大富豪一家は能天気で、愚かである。

このリアリティのなさが、ラストの悲劇で観客を絶望の底に突き落とすことを防いでくれている。
基本的には観客に映画を楽しんでもらいたいというポン・ジュノのサービス精神のなせるわざだろうと勝手に解釈している。

大変面白かったし、数々の世界的な賞を取ったことに納得だ。
ただ、個人的には是枝裕和の日本映画「万引き家族」の方が心に残る。
(下層階級の家族を描くという意味では共通するが、テーマは全く違うので比べるのはあまり意味がないとは思いつつ。)
万引き家族は絆を描く。愛を描く。
ではパラサイトは?
そこまで感じ入るものはなかった。
が、それは私が万引き家族に特別な思いを寄せているだけのことであり、パラサイトを貶めるものではない。
本当に面白く、良い映画だった。

日本の三道

義母(妻の母)が家に来て、「余ったお花があるから」と玄関にささっと生け花をして帰っていった。
ものの数分であった。

義母は池坊の師範である。
年に数度ある花展では、構想から制作までにじっくり時間をかけ、頭を捻り、悩みに悩む。
対して、普段の生活空間に花をあしらう際には、本当にリラックスした感じでちょちょいのちょいと作ってしまう。

どちらもとても素敵なことである。

母の影響を幼少から受けて、妻も日ごろから花や草木をごく自然に生活に取り入れる。
こういう感性を持つ人と持たない人とでは、大げさかもしれないが人生の豊かさに歴然と差が出るように思う。

無作法にも私はこれまで、華道にはまったく関心がなかった。
しかし最近ようやく、花を活けるという文化の奥ゆかしさ、精神性に感心するようになった。

日本の華道は西洋のフラワーアレンジメントとは違う。
フラワーアレンジメントが花で空間を埋めるのに対し、華道は花のない空間にも美を現出する。
フラワーアレンジメントは技術で、華道は芸術だ。

日本には長い年月をかけて文化を極めることに「道」という言葉をつける。
そしてこの国独自の茶道、華道、書道の3つを「三道」という。
こうした文化は長期的に廃れる方向に進んでいる。
(どれもたしなんでいない私が言えることではないが、)先人たちが築いてきた素晴らしい世界の糸を紡ごうとせず、今の日本人は何を考えとるんだろうか。

しかし、仕事や子育てなどが一段落し、生活や人生を見つめなおすようになって、人々はようやくこのような伝統文化に目が行くようになる。
遅まきながら始めようとなるわけだ。
道を通して、言葉ではうまく表現できない“なにか大切なもの”を感じ取るのだろう。
だから伝統文化は、たしなむ人の数は減っても、この世からなくなることを決してない。

私は「○道」ではないが、習い事と取り組んでいる自己鍛錬がある。
また、茶道はいずれ始めたい。
華道と書道については、せめて人のを見て愛でる心を持ちたいと思っている。

日本農業新聞にファーム菜四季が掲載

2月16日の日本農業新聞に、子会社「ファーム菜四季」の記事が載った。
“市場業者が青果物生産”
“多角化経営で存在感”
“丸果石川中央青果 アスパラ産地化へ”
私のコメントも出ている。

ようやく載ったか、というのが第一の思いだ。
取材はなんと3か月以上前の12月11日だった。
東京から女性の栁沼記者さんがいらして、能登の穴水と金沢の会社を行き来して取材されたものだ。
その模様は12月12日付けのブログに書いてあるとおりである。

新聞社は速報性のないネタをストックし、必要に応じて使って紙面を埋めているのがよくわかる。
毎日大量の文字と写真を扱うのだ。当然だろう。
むしろよくこれほど長期に渡り記録を管理をされているものだと感心する。

新聞記事をまともに読むと、なんとも立派な事業をしているようだが、そんな物凄いものでもない。
いつもピンチの連続だし、先行きは不透明だ。
そして私は、モノづくりに関して素人で何も力になれない。
そのもどかしさが常にある。

だが、事業とはそういうものだ、と割り切ることも必要だ。
だからこそ、いろいろな人と力を合わせながら進んでいくのだと思う。

映画「種まく旅人」完成祝賀式典

昨日の2月15日、17時より映画「種まく旅人~華蓮(はす)のかがやき~」の完成祝賀式典が北國新聞交流ホール(赤羽ホール内)で開催された。

私は綿貫君(丸果のれんこん販売担当)と連れだって参加した。

この映画は農業に焦点を当てたシリーズもので本作が4作目だ。

商業的には地味な展開だったため知名度は低いが、内容的には佳作が多い。

そして今回は舞台が金沢。

加賀れんこんの農家の物語である。

うちの会社はささやかながら協賛させていただいた。

製作は地元石川の企業、KSCエンターティメント(株)が担った。

千口(ちぐち)寿子社長は元々が松任の農家の娘で、映画作りは素人である。

しかし、パワフルな行動力と強い郷土愛で映画を完成させた。

ご挨拶で「思いは叶うことがわかった」とおっしゃったのが印象的だった。

式典では、加賀れんこんの若手生産者の代表格3名が登壇しトークセッションを行った。

・北博之氏(JA金沢市加賀れんこん部会部会長)

・米澤哲司氏((株)米澤農園)

・宮野義隆氏(農事組合法人One)

3名とも「農業はもともと大嫌い。しかし蓮根作りを通じて楽しさとやりがいを感じるようになった」と語ったのが面白かった。

続いて主演の栗山千明さん、平岡祐太さんが登場した(以下敬称略)。

栗山千明、顔ちっちゃ!!

れんこんデザインのイヤリングをし、話からも人柄の良さが出ていた。

平岡祐太、カッチョエー!

また輪をかけていい人そう。

脱サラしれんこん農家を継ぐ役で、ロケでは1か月半に渡り金沢に滞在したらしく、休みの日も畑で収穫の練習をした!というから素晴らしい。

だが、司会から「平岡さんの収穫シーンはプロから見てどうでしたか」の質問に対し、上述の北・米澤・宮野3氏は「ん?ん~…」と渋い表情を見せ、場内は笑いに包まれた。

この日は式典に先立って試写会も催された。

(私は試写会には出席せず観ていない。)

北部会長は、「映画は素晴らしかった。感情移入して泣いてしまった」とのことだ。

収穫シーンは今一つだったのかもしれないが、肝心のヒューマンドラマで生産者を泣かせるとは大したものだ。

本物を描いたと言えるだろう。

観るのが楽しみである。

この映画は2019年10月にクランクアップしている。

もうだいぶ前だが、コロナで公開が延期になっていた。

ようやく3月26日より石川県で先行公開され、4月2日より全国公開となる。

うちの会社はわずかながらのスポンサー企業なので、エンドクレジットで名前が流れる(と思う、たぶん…)。

青果物の週間情報 【2021-W08】

■週の概況 第8週 2/15(月)~ 2/20(土)

【全体】
 この週は暖かく春到来と思いきや、週頭に爆弾低気圧で風が吹き荒れ、その後は寒波で冬に逆戻りし、その後また暖かさが戻る…と天気・気温が目まぐるしく変動する。人々の消費動向も日によって変わるため、売る側としては焦点を定めにくく、対応の難しい週となろう。とはいえ全体として春商材に重きを置く流れは止まらず、煮炊き商材は控えめになっていく。
 野菜は西南暖地からまずまず順調に出てきそうで、ざっくり言って葉茎菜類は軟調、果菜類は堅調、根菜類は廉価、土物類はやや高値基調といったイメージ。果実では柑橘類が全国的に平年比でやや少ない作況ながら、その他主力品目も含めて順調な入荷を見込む。

【野菜】
 春系野菜の台頭とともに白菜は人気薄で下げ。ネギは1月の積雪の影響が残って少量高値基調だ。ホウレン草と小松菜は同レベルの価格帯で保合予想。アスパラは国産春芽のものが九州方面から増量傾向である。水菜は業務筋の不振でナヤミが続く。にらは平年並みに価格を下げる見込み。
 果菜類は概ね増量を見込む。キュウリ、ナスは順調に増加しそう。安かったトマト・ミニトマトは少し値を戻すと予想。豆類は順調に増えてくる見込みだ。
 根菜類では甘藷は最盛期で動きも良好。レンコンも売りやすい価格帯まで値を下げ数量が伸びそうな気配だ。大根は消費不振で安値低迷が続く。筍は徳島産も始まり、売場に季節感を提供する。土物類では牛蒡が不作で高値基調、馬鈴薯は九州離島産の物流がやや不安定で北海道産の残量不足と併せ強含みが継続、玉ねぎのみ潤沢順調で値ごろ感がある。

【果実】
 国内果実では、晩柑類の種類が豊富だ。いよかん、デコポンを主力に甘夏、八朔、文旦、はまさきなど順調である。ポンカンやせとかもあるが終盤にさしかかり、甘平はこの週で切り上がりそうだ。イチゴは順調潤沢な入荷を見込み、昨年が不作だったので今季は安値感も追い風となり、拡販期待の品目である。リンゴは定番品として順調安定した取扱いが続いている。
 輸入果実でも柑橘類が目立ち、オレンジ・グレープフルーツといった柱に加えてマーコットやミネオラといったマンダリン系が入ってくる。アボカドは原価上昇により販売相場も浮上を見込むが、今までの安値傾向から平年並みに戻るイメージであり、量的には潤沢で問題ない。

つかのまの春

昨晩遅く、福島を中心に震度6強の地震が襲った。
2011.3.11の東日本大震災から丁度10年経つ。
未だその“余震”に人々は苦しめられる。
なんと大きな厄災か。

そんな東北の方の苦難に比べ、当地金沢は本当に恵まれている。
この日は晴天でぽかぽか陽気であり、春の息吹を存分に感じられる一日だった。

早朝、日の出に合わせ、久しぶりに「そとラン」した。
うちラン=冬場はジムのランニングマシンでずっと走ってきたが、やはり「そとラン」が気持ちよい。
犀川ぺりは朝6時というのに、若者を中心にたくさんのランナーや散歩者がいた。

午後は東山茶屋街に行ってみて驚いた。
コロナ禍前の状況には遠いものの、かなりの人数が観光を楽しんでいた。
若いカップルが多かった。

石川県では感染者がこのところ多いので、人が賑わうことは不安な面もあるが、やはり人通りがあると気持ちが高揚してくる。
社会は人あってのものだ。

残念ながら、今回の陽気は短命であり、週の後半には寒さがぶり返す予報である。
しかし三寒四温は冬から春への通過儀式であり、確実に春の足音は速度を増している。
今日はつかのまの春かもしれないが、またしばらくすれば本格的に春を満喫できるだろう。

日本でも新型コロナが大問題となっておおよそ一年が経つ。
もうすぐ医療関係者を皮切りにワクチン接種が始まる。
あまりに短期的な解決を求めてはいけないかもしれないが、せめてもうあと一年後にはコロナ禍が完全にこの世からなくなっていることを願うばかりだ。

実は私、何が悪いかわかってない

森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長を辞任した。
テレビでもネットでも大炎上だ。
女性蔑視だとダイレクトに問題にする他に「そもそも森氏は何が悪いのかをわかっていない」と非難する論調を多々目にする。

こう書くと私も社会からバッシングされるだろうかと恐れつつも正直に言う。
“実は私、何が悪いのかわからない”。

森氏が、女は話が長げ~んだよな、と言った。
そこから、五輪開催の是非にまで話が及んでいる。
飛躍のしすぎだ。

女は話が長いと言った⇒大会委員長は女性蔑視者だ⇒そんな五輪は開催すべきでない
 この三段論法(なのかこれは?)、危ないだろう。
東京オリンピック=森喜朗 !?
そんなあほな。

もし対象が特定の民族であったり、障害者であったり、マイノリティーであったならば一発アウトだ。
だが相手はざっくり“女性”である。
女性は全世界に38億人いる。

森喜朗氏の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言で、耐えがたい屈辱感、被差別感を受けたのは誰なのか。
多分、誰もいない。
森喜朗め、相変わらず偏った見方してんな、とせいぜい鼻白んで終わる話だ。

聖火ランナーやボランティアを辞退?
これも理解できん。
辞退者は、委員長がイメージのいい人に替わったら辞退を取り消そうとするのだろうか。
もし辞退取り消しが認められなければ「それも森のせいだ」と怒るのだろうか。

せめて、発言の全文をちゃんと読み、森氏のこれまでの業績を理解し、無報酬でやってきたこと等の善行も知った上で非難するのが公の場で攻め込む側の作法だろう。

テレビで、目を吊り上げて糾弾するコメンテーターと見ると怖くなる。
何が何でも徹底的につぶしてやろうという狂気を感じる。
過剰反応も社会に害をなす。

では、森喜朗に問題はなく、悪いのはマスコミだけか、というとそれも違う。。
森喜朗は悪い。
発言の内容そのものでなく、“はずした”ことが問題だ。
森氏はリップサービスで、場の笑いを取ろうとしたのだろう。
つまり、ジョーク!だ。

しかし、完全にすべった。
森さん、いや、そういうの全然笑えないです、ユーモアになってませんから、ということだ。
ユーモアの感性と状況判断能力が劣化していると指摘せざるを得ない。
だから、公的に登場する表看板としては退くのは妥当と思う。
(もっとも、今回の問題発言は公的な場で発したものではないので、言わばリークを元にここまで追い詰めるというのはやはり行き過ぎと感じる。)

この大バッシングの中、会長職を続けることはできず、森喜朗氏は辞任してしまった。
闘病生活をおしてまで無報酬で貢献してきた森氏の功績は大きい。
私は、人物が晩節を汚す姿を見るのが嫌だ。

最後に、私の中の記録として、森喜朗の過去の問題発言を挙げておく。
コメントをした時の立場や状況を鑑みて、それでも流石に非難されるべきは③。
逆にその他は、私としては問題意識はあまり感じない。

①2000年“日本は天皇を中心とする神の国であるぞ”
②2000年(選挙に関心がない人は)“寝てしまってくれればそれでいい”
③2003年“子どもを一人もつくらない女性を税金で面倒をみるのはおかしい”
④2014年(浅田真央に)“あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね”
⑤2016年“国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない”

顔の見える中能登生産者を市場案内

研修風景

「顔の見える能登の食材 直行便事業」というものがある。
能登地方の農家さんが思い思いに野菜を作られ、1個単位から金沢市場に出荷できる取り組みだ。
奥能登地区(珠洲、穴水、内浦町)は先行して2009年から始まっているが、中能登地区(羽咋、七尾)は数年前に組織化されたばかりであり、まだまだ参加者は少ない。

そこで今回、中能登地区の生産者を市場に招き、流通の仕組みを知っていただこうという企画になった。
私は中能登地区の本事業にはほとんどタッチしていないが、せり販売開始前のわずか20分間たらずだが、お越し下さった方々を案内する役を買って出た。

農協の部会組織に入っていない個人農家は、市場流通をあまりご存じでない。
一般的には直売所に出して終わりにしてしまう。
卸売市場に出荷できることすら知らない人も少なくないし、市場に出すと二束三文で取引されるという偏見を持っている人もいる。

こうした人々に市場流通を正しく理解していただき、少しでも利用してもらうようにするのが卸売会社の基本使命である。

幸い、来られた人たちは皆熱心に耳を傾けて下さった。
最初はほんのわずかでもいい。
市場に出荷され、自分の作った野菜の評価を受け止めていただき、次の生産につなげる。
直売所と比較し、うまくバランスを取って全体収益のアップにつなげていただく。

個人出荷者の存在価値は、農業の担い手の減少とともにむしろ高まってきている。
こうした方々へのアプローチこそ卸売市場が力を入れなければいけない重要事項だ。

松下幸之助  伝説の熱海会談 他

2月4日に開催されたPHP経営者友の会で、松下幸之助に関するビデオを見ながら意見交換を行った。

とても勉強になる内容だったので2点書き留めておく。

1)情と厳しさ

伝説の熱海会談。

三日間に渡る販売代理店からの嵐のような抗議に対し、幸之助は心からの謝罪をした。

「責任はすべて自分にある」と。

途中、言葉を詰まらせながらのスピーチは全員の心を打ったという。

赤字は社長の責任である。

自らの責任を受け止めた上で、しかし幸之助は次のようにもも述べる。

支社の責任は支社長の責任だ。

部の業績は部長の責任だ。

あんたら、自分で集金しに駆けずり回ったんか?

また、大不況の際にも社員を一人たりとも絶対に首にしないと宣言した逸話も有名だ。

ただしその際は、休日返上、社員総出で在庫を売り切るよう旗振りした。

そこには情けと厳しさの両面がある。

人に厳しいだけでも、甘いだけでもダメ。

そして、会社の舵を切ることと人の心を動かすことは別物。

人間力とセンスを要求される難しい局面だと思うが、これを乗り越えていかねば人々がついてきてくれる経営者にはなり得ない。

2)自己肯定感と謙虚さ

自己認識は、自分自身を低く見ても高く見てもいけない。

自分自身を採点したときは50点であるべきだ。

自己肯定間=自分はできると信じること。

しかし傲慢とは違う。

向上心=自分はしかしまだまだだ。

上には上があると思うこと。

謙虚さ。

カナカンの故・角間会長が講演でおっしゃっていた「会社の規模は、社長の器以上にはならない。だから社長は自己研鑽を怠ってはならない」に通じる。

会社をよくしたければ社長自身が成長し続けなければならない。

松下幸之助のモットー: 朝に発意、昼に実行、夜反省

3)その他

山田浩三氏の言葉「人材教育は馬蹄形磁石のようなものだ」

経営者と従業員とは絶妙な距離感が重要。

離れすぎては砂鉄は動かず、くっつきすぎてはいつまでも自分で考えない。

高由紀さんの言葉

部下が提案することをプラス志向と捉える。

経営者はそれを受け止めてやらせ、その責任を持つ。

業績不振はコロナ禍のせいじゃない。

今までと違うことをして成果を出そう。