トランプ大統領のコロナ感染

ドナルド・トランプのコロナウイルス感染の報を聞き、私は瞬間「アメリカ大統領選は終わった」と思った。
もちろんトランプ敗北という意味で。
たとえ11月3日までに体調が回復するとしても、この先の選挙戦は無理であり、事実上の終結という展開になるものと直感的に思った。

しかし、その後の報道を聞いているといやいやそうではない、真逆の可能性すらあり得るという見解が出てきて仰天した。

「同情票が集まる」
「復活してコロナに打ち勝ったところを見せれば大逆転の機運になる」
というのだ。

そんなバカな。
いや、確かに英国ジョンソン首相は3月27日にコロナ感染を発表し、容体の重篤化を乗り越え、復帰してからは支持率を大幅に改善した。

バイデン候補にリードを許してきたここまでの選挙戦、もしトランプがコロナからの劇的な復活を遂げれば、大逆転勝利をつかむやもしれぬ。
となれば選挙日までちょうど1ヵ月前という今のタイミングも、計算ずくのシナリオではないかと勘繰ってしまうほど絶妙だ。

その筋書きで事が進むならばものすごい。
群衆心理の恐ろしさだ。

しかし、それならそれで、別の思いがわいてくる。
危機管理なき指導者を劇的な復活などと美化し、熱狂し、突き進んでしまう国民性はいかがなものか。
理性の対極、民度の凋落を感じずにはおれない。
アメリカ国民の知性と良心を問う。

芸能人の自殺はお蔵入りにはならないのね

俳優の伊勢谷友介は9月8日に大麻所持で逮捕された。
昨年3月にピエール瀧、11月に沢尻エリカが逮捕されたときは収録中の作品は代役を立てて撮り直し、収録済みのものは放送中止となるなど、かなり極端な自粛処置がとられた。

ピエール、沢尻の時から“作品に罪はない。予定通り公開すべきだ”という声は小さくなかった。
それ受けての伊勢谷友介だろうか。
どうやら彼の出演、収録済みの映画はおおむねお蔵入りにはならず、予定通りの公開となるようだ。

作品自体が粛々と公開されることはよいことである。
たとえ出演者がリアルに殺人を犯したとしても、作品を自粛する必要はない。
犯罪者が出演した作品は公開を停止しなければならないという法律はない。
自粛はまさに自主的なものだ。

話は変わって芸能人の自殺。
9月27日の女優・竹内結子のニュース速報には驚いた(9月27日)。
自殺という暗いイメージとは真反対の明るい印象の役者だっただけに世間への衝撃も大きかった。

その二か月前には三浦春馬が自殺している。
奇しくも二人は映画コンフィデンスマンJP -プリンセス編-に出演しており、そのほかの出演作品も普通に上映、放送されている。
当然のことであり、それでよい。

だが、ここで疑問がわく。
大麻は問答無用に非難するくせに、自殺者に対しては同情、哀憐、時には美化も。
ここに違和感を感じるのだ。

私の価値観では、自殺は大麻や不倫より“悪い”。

大麻所持は法律違反だが自殺は罪でない。未遂も罪でない。
(ちなみに自殺の手助けは罪になる。)
だからといって自殺は悪くないと言えるか?
諸外国の中には、自殺そのものを罪と定める国もある。
自殺に対する見解は国によって、時代によって、議論が分かれるのである。

大麻と自殺を比べた場合、はるかに自殺の方が他者に対してショック、迷惑、被害、ダメージを与える。
特に、家族や友人に対しては人生を変えるほど大きな衝撃を与えてしまう。
俳優の死は、作品に対する影響も大きい。
ピエール瀧や沢尻エリカの映画を見直しても何ともないが、今後私は、竹内結子の映画を普通に見られるかわからない。

人間は時に、生きることに耐えられないほど追い詰められることもある。
だから自殺を全面的に否定はしない。
しかし、大前提として、殺人と同様に人がやってはいけない最たるものが自殺である。

金沢市農業大学の市場研修

本日、金沢市農業大学の実習生10名が来場した。
卸売市場の流通の仕組みについて研修するのが目的である。
私がその講師として彼らを案内し、説明させていただいた。

金沢市農業大学とは、金沢市が運営する農家の卵の育成機関である。
新規就農希望者を募り、ほとんど費用をかけさせず農業技術について教育を施し、卒業後は農地の斡旋もするなど、担い手作りのための様々な支援をしている。

まったく農業とは縁のなかった人間が一念発起してこの大学に入ってくる場合もあれば、農家の息子が行く行くは自分の農園を継ぐつもりで基本技術を学ぶために入学する場合もある。

いずれにせよ、青果物流通は生産者があってのものであり、私としては全面的に協力しなければと思っている。

しかし、農業の卵たちは卸売市場のことをまったく知らない、もしくは誤ったイメージを持っているのがほとんどだ。
誤ったイメージとは、せっかく青果物を作っても、市場に出すと二束三文で買いたたかれるという類のもの。

キャリアが浅く、規模の小さな個人農家が農業一本で生計を立てることは実際とても難しい。
しかし、それは日本の農業が抱えている根本的な構造が所以であって、卸売市場流通を諸悪の根源にする発想は50年以上前から続く表層的、短絡的な誤認識だ。

金沢農業大学に通う人たちはまだ何も知らない真っ白な状態であるから、正しい知識を持っていただきたい。
最初が肝心である。
だから私はこうした研修を依頼されると(自分でいうのもなんだが、)誠心誠意の案内と説明をさせていただく。
随行してきた職員さんがいつも「ここまでしてくれるなんて」と驚くほどだ。
かつて市場内に食堂が営業されていた時は、会社持ちで朝ごはんを食べてもらうこともあった。

この日も現場1時間、会議室での座学1時間の計2時間の研修をみっちり・・・のはずが話が伸びて2時間30分にわたって学んでいただいた。
ひと昔前に比べれば、現場の社員の生産者への指導力も増してきている。
本当に蚤のようなスピードだが、地元石川で担い手が育ち、増え、その方々が作った農産物をわが市場に出荷してくださり、いずれ年に50%以上が地物で安定的に占められるような市場にしたい。
それが健全な姿だ。

この内容がベストとは決して思わない。
今後も中身については改善していく。
だが、誠心誠意対応させていただく姿勢はこれからも変えずに続けていきたい。

加賀野菜のデザイン刷新

本日、金沢市役所に赴き、山野之義金沢市長を訪問した。
要件は「加賀野菜」のロゴデザインが刷新されたことの報告である。

私は加賀野菜の認定組織である「金沢市農産物ブランド協会(以下、協会)」の副会長をしている。
会長はJA金沢市の橋田組合長だ。

協会は「加賀野菜」ブランドに認定される野菜を決め、その振興策を練り、実行する。
お金を出し合って、加賀野菜の秀品に貼られる「シール」を発行する。
シールその他の販促物には「加賀野菜」のロゴマークがついて回るので、そのデザインは非常に重要である。

立ち上げ当初から、加賀野菜発足の行政側の立役者・山出保元市長の直筆が使われていた。
しかし、加賀野菜が誕生して20年が経過した。
そろそろ新しいステージに移ってよい頃合である。
そこでこのたび、金沢美大の協力を得て、新・ロゴデザインを練り上げたのだ。

ロゴデザインの説明をする木下氏

本日は橋田会長、私、そして新しいロゴデザインを創った電通金沢支社の木下芳夫氏、その後見役である金沢美術工芸大学の寺井剛敏教授の4名で山野市長を訪問した。

金沢を象徴するマークである「梅鉢紋」があしらわれ、金色の字で「かがやく美味しさ 加賀野菜」と謳われている。
奇をてらわない、シンプルな直球デザインだ。

新・シールは金色がとても印象的だ。
高級感がある。

「加賀野菜」は「いいもの」なのである。
いいものを残そう、というのが松下良さん(加賀野菜の父。松下種苗店会長)のそもそものコンセプトなのだ。
加賀野菜には上等感、高級感がなければならない。
だから、この金色が映える上品なデザインはとてもいいと思う。

加賀野菜はここ数年、やや停滞感があった。
さつまいも、れんこんは毎年の繰り返しで衰退もないかわりに発展もない。
マイナー品目は相変わらず担い手が増えない。
そろそろ喝を入れ直さねばやばい頃合いだ。
これを機にシャキッとすればいい。
なんといっても地元の伝統野菜だ。
それを育み、次世代につなげるのは我々の使命だ。

金沢だいこん始まる

金沢産の秋冬だいこんが始まった。

市場での販売は明日からだが、本日、出荷作業に追われるJA金沢市砂丘地集出荷場にお邪魔した。

金沢市の下安原・打木は水はけの良い砂丘地で栽培する大根産地である。
この地区は夏には西瓜を作る農家が多い。
石川県では農業産出額№1が西瓜で№2がだいこんであり、若手の後継生産者が一番充実して揃っているのもこの地区。
つまり名実ともに石川県内最大の産地であると言ってよい。

生産者のみなさんはお揃いのポロシャツで出荷作業に大忙しだった。
生産者代表の安田憲昭部会長は、生産現場と市場流通を双方知り尽くした恐るべき人物である(笑)。
というのも、生産農家の跡取り息子に生まれ育ちながら、20代、30代はうちの社で主に果実売場で働いたキャリアを持つ。
40歳前後で親の跡を継ぐため農業に戻った格好だ。

なので、市場流通の存在意義も問題点もよく知っている。
今でも貴重なアドバイスをしてくれる大切なパートナーだ。

「今年は8月の干ばつと猛暑、9月の日照不足で気候が激変し、水の管理に本当に苦労した」と引き締まったボディーで語った(笑)。
(実は、シャッターを切る前に『腹を凹ませるからちょっと待って』と言われている。)

このだいこんは「金沢そだち」というブランドにも認定されている。
10月中旬がピーク、11月半ばまで続く。

この地は砂丘地であり、スイカの後作として産地化が進んだ。
かつては打木源助だいこんが主流だったが、昭和50年代より、形状の揃いが良く収量性も高く病気にも強い総太系の品種に変わり、現在に至る。

近年はわが社の対応が悪かったのか、大阪市場への出荷の方がはるかに大きくなった。
地元の産品は地元で売るのが本道。
シェア奪還に向けてわが社も嶋田統括部長自らが担当となり、販売していくことに方向転換した。

1ヵ月半の短期決戦、気合を入れて取り組んでいく。

青果物の週間情報 【2020-W40】

■週の概況 第40週 9/28(月)~ 10/3(土)

【全体】
 4連休で金沢は賑わいましたが、それが明けてちょっと一服。気候もグンと秋めいて涼しくなり、コロナ禍さえ再燃しなければ“新しい秋の日常”がやってきた印象です。一雨ごとに気温が下がる時季となり、この週は冷え込みを感じる回数が増えそうです。暖を取れる料理への需要が一気に高まり、鍋物商材は動きがぐっと良くなるでしょう。幸いにも該当品目は増加傾向なので、値ごろ感を保ちながら量を売り込める展開が期待できます。
 ただし北海道や東北は雨続きで、生産量の伸びはそう大規模ではありません。台風12号による産地被害はほぼ心配のない状況ですが、輸送面で若干の問題が出ており、週の前半は入荷量が不安定な品目が出ます。野菜は全体的には前週に比べやや軟調な動きとなるものの、極端に高いものも安いものもなく、相場はまずまず平年並みで推移するでしょう。果実は依然として平年より数量少なく、全体的に高値基調が続きます。

【野菜】
 白菜は増量安値の流れですが、需要期に入り動きは好調で、この週はほぼ全スーパーで特売企画が入っている模様です。ねぎは数量が回復し、前週の高値からかなり値を戻すとともに、需要期で動きも良くなるでしょう。菜類も増量し、高値だったホウレン草も平年並み価格に落ち着く見通しです。反対にレタスは長野産の切り上がりで一気に品薄に転じ、単価高となる気配があります。菌茸類も動きが活発化し、今後の販売拡大が期待されます。松茸は国内産が遅れており、この週も外国産のみの入荷となりそうです。
 果菜類は堅調な品目が多いようです。きゅうり・ナス・トマト・ピーマンなどはおしなべて平年より数量が少なく、やや高値基調。特にトマト・ミニトマトはこの週さらに上げる見込みです。豆類も山形・長野などの出が少なく、堅調な相場を維持します。
 根菜類では冷え込みにより大根の動きが好調になり、火曜日売りからJA金沢市産も始まって重点商材となります。さつまいも・蓮根の動きも良く、地物の煮炊き商材は売り込み甲斐のあるタイミングとなります。一方で馬鈴薯と玉葱は低価格ながら今一つ重たく、白菜・ネギ・大根などの先発隊の消費が伸びて値を上げるような展開になれば動いてくるものと思われます。

【果実】
 国内果実では極早生ミカンが当初心配されていたほどの酸味の少なさ・水っぽさもそれほどでなく、平年並みのスタートを切りました。この週は長崎県産も加わり、シーズンが本格化します。梨はあきづき中心ながらやはり数量不足であり、高値品薄の展開です。りんごは長野県産が一時切れていましたが、遅まきながら秋映がこの週よりスタートします。メロンは静岡・北海道産はもちろんあるものの石川アールスが大玉傾向で一押しです。ブドウ類は長野県産の巨峰・シャインが中心で、ルビーロマンは最終盤で少量です。柿が徐々に本格化し、和歌山刀根早生、福岡と岐阜は西村早生、愛知筆柿でいずれも平年並みの作況です。季節物としてはイチジク・栗がそれなりの入荷です。
 輸入物はあまり変化のないタイミングで、バナナとキウイを定番として、赤と緑の種無しぶどうが増えてきます。

映画「はりぼて」レビュー

2016年から発覚した富山市議会議員の政務活動費不正受給問題を記録したドキュメンタリー映画である。

“富山市議会のドン“中川勇氏に始まり、半年の間になんと14人もの議員がドミノ辞職する事態になった顛末。
追求したのはローカルテレビ局の「チューリップテレビ」だ。
当時アナウンサーだった五百旗頭幸男(いおきべゆきお)氏と報道記者・砂沢智史(すなざわさとし)氏がリアルタイムで報道し続け、2020年に監督としてこの映画を世に送り出した。

金沢での上映館はミニシアターの「シネモンド」だ。
観客はほぼ満員だった。
富山と金沢はお隣さんで県庁所在地同士、つながりは深く、特有のライバル意識があり、仲の悪さもよく指摘される関係である。
また、どちらも保守王国で体質的に同じではないかとの思いがある。
この映画への注目度が高いのも当然だ。

映画では、疑惑の議員に対してチューリップテレビの二人がインタビューをする。
ファーストコンタクトでは議員側は余裕しゃくしゃくである。
しかし自分に突きつけられた刃が「真剣」であり、かわすことができないと悟るや表情が一変する。
急にしどろもどろになるか、沈黙せざるをえない。
そして場面は急転直下、辞職会見のシーンに変わるのだ。
その際の表情は数日前の「わしは先生様でござい」と言わんばかりの自信満々なものとは打って変わってこの上なく情けなくしょぼくれたものとなる。

この変貌は観る者に滑稽に映り、客席からはたびたび笑いが起こった。
これは本当に現実の出来事か?フィクションではないのか? そう疑ってしまうほどに呆れた展開が続く。
渋りはてた彼らの言動はコメディそのものではないか。
編集テクニックのなせる技もあって、登場する富山市議会議員達はあまりにも愚かしく、あまりにも非常識に描かれており、その傍らにいる富山市長は「私はコメントする立場でない」とあまりに無責任な印象を与える。

人間、弱みを突かれたらなんと情けない姿を晒すものか。
攻めている時は勇ましいが、守りに入った途端に醜い本性を現す。

ひるがえって自分は大丈夫だろうかと考えた。
私は政治家でないし、権力者でもない。
会社のお金、人のお金を着服するようなことはしていないし、何かしら不正に加担している自覚もない。
しかし、自分の行動が100%オープンになったと仮定して、100分の100、天地天命に誓ってやましいことはない、と言い切る自信はない。
たとえば、皆が職場で働いている時間中、プライベートなことに時間を使うこともある。
もし誰かにそこを突っ込まれると返答に窮すだろう。

本映画のように数千万円の税金が不正に流用されるレベルではない。
しかし私の”勤務時間中のサボりのようなもの”は、事の本質においてたぶんそれほど変わらない。
言わば本人からすればちょっとしたズル。
金銭感覚に大いにズレはあるにせよ「ま、これくらいは」と思っている部分において、議員も私も変わらない。
議員の場合は市民の税金を着服したことになるので罪は大きいが、私だって会社から給与を得ているのだ。

もし私のズルが発覚し、部下からどういうことかと詰め寄られたとする。
私は社員たちの前でとんどもない醜態を晒すのではないか。
そんな怖さを感じた。

富山市議会議員の世界にあまりにも非常識な慣習がはびこっていたために、非常にわかりやすい内容の映画となった本作。
ただし疑問もいくつかある。
なぜ五百旗頭氏は退職し、砂沢氏は異動になったのか。
チューリップテレビとの間で問題があったのか。
ならばこの映画をチューリップテレビが配給しているのもよくわからない。

また、不正に着服された数千万円の政務活動費は、何に使われたのかが明らかでなかった。
単に議員のポケットマネーになったのか、それとも何らかの政治活動に回っていたのか。
不正に手を染めなければならなかった根底をえぐって欲しかった。

そして身近で素朴な疑問。
我が街・金沢はどうなのか。
ぜひ対岸の火事とせず、地元メディアの検証を期待したいところである。

五百旗頭氏はチューリップテレビを退職して石川テレビに来たらしい。
そのうちお会いする日も来るかもしれない。

復刻版 田井屋100年ノート

金沢市の老舗紙製品商社の田井屋が、このたび“古くて新しい”商品を開発した。
その名も「復刻版 田井屋100年ノート」だ。

田井屋の小売店「田井屋吉兵衛」でのノート売り場

以下、商品に添付された説明文の引用
【2015年、西田幾多郎氏のご遺族の元から直筆ノート50冊と紙資料が発見され、そのうちの3冊が1900年代初期の田井屋製ノートと判明しました。
ノートに向かい深く考え、考え抜いたものを何とか言葉にしようと試行錯誤した彼のようにあなたの思考や創造に寄り添うノートでありたいと、当時のノートを元にリデザインしています】

田井屋は金沢市の食品包装資材・紙製品・文具の卸売商社である。
創業は江戸時代明和2年(1765年)で、金沢市片町が紙小売商としての創業の地。二百五十有余年の歴史がある。
紙の小売から卸売へと業態を変化させ、取り扱いも文具・事務機・包装資材・包装機械へと拡充した。
さらに、今やありとあらゆる小売商支援を手がけている。
地元密着の総合コンサル商社に発展したといっても過言でない。

社長の田井徳太郎氏は私の小中高校時代の一年後輩にあたる。
また、遠いながら血縁関係がある。
私の母方の祖母と徳太郎氏の父がいとこである。
いとこではあるが、当時の両家の事情で、長く同じ屋根の下、兄妹同然に育ったらしい。
徳太郎氏の父は若くして急逝し、徳太郎氏は年若くして田井屋を継いでいる。
・・・などなど田井徳太郎さんの話は長くなるのでまたいずれ機会があれば。

ノートの話に戻る。
商品開発のきっかけは、7月11日の本ブログでも紹介したとおり、西田幾多郎のノートの中に田井屋で作っていたものが発見されたことである。
これを復刻・商品化したのは素晴らしき商才。

ただのノートなのに価格は990円と高い。
だが高くてもこれは売れるだろう。
付加価値が人の物欲をくすぐる見本のようなものだ。

西田幾多郎が使っていたのと同じ仕様のノート。
なんとなく、これを使うと賢くなったような気がしてくる(笑)。
裏の「田井屋製」という刻印のようなマークを打てるのは田井屋のみだ。

繰り返すが素晴らしき商才。
だが、ただ商売っ気があるだけではなく、その底流には自社に対する愛情と誇り、それと地元の偉人に対する深い敬意があってこその発案だ。
そこが敬服に値する。

翻って、うちはどうなのか。
先人たちによって世の中の役に十分立ってきたではないか。
そして誇れる地元農産物を数多く扱ってきている。
ならば、条件は同じである。
田井屋さんにできてうちにできないとすれば、それはひとえに愛情と誇りと敬意が足りないということだ。
肝に銘じてこれから考える。

超早朝の水産卸売場

金沢市中央卸売市場は青果部(野菜・くだもの)のせりが始まるのは朝6時で、水産(さかな)は朝3時半だ。
3時半は市民感覚としては朝ではなく深夜というべきか。
魚がここからまた全国に発送されるので、日本でも最もせり開始時間が早い市場になっている。

私が市場に着くのは最近は4時前後であり、たまに水産の方もぶらりと歩いて様子を見る。
青果はこれから起きだす時間帯(仲卸は深夜から働いている人も少なくないが)。
水産はせりが終わって興奮いまだ冷めやらぬ時間帯。
その温度差が面白い。
この時間は水産の人の方がテンションが高い。

今朝は水産の仲卸棟を歩いていたら、仲卸「大千」の深美さんがまぐろを包丁でさばいていた。
深美さんは太物を中心に扱う大ベテランの仲卸である。

勉強心旺盛な方で、2年前、私が指導陣の一翼を担う「金澤市場人錬成塾」の塾生として学びに来られた。
キャリアからいって私の方が学ぶべきところが多々ある方なのに、謙虚に、真剣に、課題に向き合う姿が印象的だった。

挨拶してすぐ立ち去ろうとすると「ああ、ちょっと待って!」と呼び止められた。
「これ、カナダ産のマグロの赤身だけど、ものすごうまいから食べてみんか」と言ってパパっとパックにしてくれた。
「え!いいんですか?」とびっくりしたが、それだけで止まらず、
「あとこれは、○○○○で、煮るんでなく塩コショウで焼いて食べると絶品だから!」と言って結構な量のものを新聞紙でくるんで持たしてくれた。
さらに、冷凍庫からカチカチに凍ったネギトロを出してきて、
「これ保冷剤の替わりね」と言ってニコッと笑い、発砲スチロールにすべてを一緒くたに詰めてくださった。

私は終始ポカーンである。
え?いいんすか?気前よすぎ!なんで?
「?」とか「!」が頭の周りを飛び交ってしばらく収集がつかなかったが、この方の底抜けの明るさと優しさに強く感じ入った。

青果の悪口ではないが、全体的な傾向でいうと、水産の人間の方が元気で明るい人が多いように思う。
超早朝の水産の世界は青果とは全く違く世界が広がっていて面白い。

臨時休開市の調整

毎年この次期に来年の卸売市場の休市日を決める。

市場休市は各市場が独自に決めてよいが、全国の農業産地から出荷していただくので、大都市東京と大阪がまず決め、地方の市場はその結果を見て決めることになる。
東京も大阪も休みなのに、自分とこだけやることにしても産地は動いてくれないからだ。

東京と大阪がビタッと一致すれば話は早い。
こちらもビタッと合わせるのみ。
でも、なぜか東京と大阪は年に何日分か食い違う。
だから地方の市場は、うちは東京寄り、あちらは大阪寄り、など系列というか派閥のような様相を呈する。

金沢は昔から東京寄りだ。
別に東京の子分ではない。
つながりの深い産地背景が東京に近いということだ。

さらに、青果と水産では考え方が違う。
本来、同じ市場に青果と水産が入所していれば、どちらかが営業してどちらかが休み、という所謂「片肺」では、食品スーパーさんなど小売業者には不便となる。

昔は小売業者の圧力が強く、片肺はまかりならん、という風潮だった。
だが、最近はそうでもない。
青果と水産のどちらかしか開いていない日というのが年に数日出ても文句が出ないようになった。

それでも毎年、調整にはいろいろ気を遣うし、また実際にひと悶着ある時はある。
もめる時はもめる。
東京と大阪が出してきた令和3年のカレンダー案は結構食い違いがあったので心配していた。

しかし、今年は幸いにして、結構すんなり案が固まった。
東京と大阪があまりに違うので、もうこっちにしてしまえ、といういい意味で開き直りがあったからか。
まあ例年もめるだけもめても、商売が上手くいくかどうかはまったく別の話だ、ということは皆気付いていることだ。

以前に述べたが、私は水曜を必ず休市にして祝日は開市と決めた方がよい、という考え方だ。
世間が(小売業界が)市場は日曜と水曜が休み、と認識してしまっている。
あれこれ毎年暦と睨めっこしなくてもいいのだ。
たまに水曜開市があっても、開店休業状態になるだけだ。
仲卸の従業員などは水曜日の開市日が来るたびにブーブー言っている。

現場の人間が明確に答えを持っているのにその意見が通っていない。
これこそが市場業界の硬直化の証である。