新システム稼働

ようやく稼働

 遅れに遅れていた会社の新システムがついに稼働の日を迎えた。ソフトはとうに出来上がっていたが、世界的な半導体不足のせいでハードが揃わず、2年も延期を強いられたのだ。これは大きな想定外だったが、堀上部長を筆頭とする電算部の社員が本当によく頑張って本稼働にこぎつけてくれた。これから全社員が成果を実感し、より業務が円滑となり、新しく捻出できた時間を収益アップにつながる活動に投入できるよう期待する。

表面上の目玉と深層上の目的

 今回のシステム改変の目玉は、表面的にはペーパーレス化の推進だ。紙で提出、処理していた事務的作業の多くが画面上だけで済む。世界標準からすれば当たり前かもしれないが、市場における現場作業は年々細かい仕事が増え、その対応には付け焼き刃的ながらも社員の献身的な創意工夫で乗り切ってきた。その様々な業務を標準化し、コンピューターシステムでできるだけサポートしたいというのが、システム改変の深層的な目的といえる。

混乱と成果実感

 正直に言えば、稼働した数日間、現場はかなり混乱した。入力画面から処理方法まで、旧システムとはやり方が大きく異なる。もちろん何か月もかけてデモ画面を使って研修してきたが、いざ本番になると思いもつかないミス、トラブルが多発した。スパーリングをたくさん積んでデビュー戦に臨んだ総合格闘家が、真剣勝負の本番になって、練習とは全く違う相手に出方に面食らい、頭が真っ白になるに近い。営業社員は連日、遅くまでの残業が続いた。だがこの1~2日でようやく慣れてきたようだ。旧システムの時より仕事の上りが早くなったという声があちこちで聞かれるようになった。従来の作業を短時間で終われるようになることが第一段階だ。そこで余剰の時間を作り出し、営業に注力できてこそ第二段階と言える。

自社設計であることの意義

 我が社のシステムは〝自社設計〟である。コンピューター会社が作るいわゆる〝パッケージもの〟とは異なる。自分たちの仕事に特化した、自分たち仕様のシステムである。その分使いやすい代わりに開発に時間がかかる。開発費も膨大だ。億単位の金がかかる。うちはそれをリース契約方式にして、資産でははなく経費化しているが、根本的には億の事業となる。その分収益を上げなければ成り立たない。社員はその点をよく理解して、時間を効率的に使い、作業を軽減して力を蓄え、より販売行為の方向に注力してもらうことが重要である。

第55回たけのこ感謝祭

たけのこ感謝祭が今年も開催

 本日4月15日、金沢市寺町の妙福寺にて、石川県野菜園芸協会による「第55回たけのこ感謝祭」が開催された。感謝祭といっても賑やかな催しではなく、お寺でお経をあげ、お墓にお参りするという極めて宗教的な儀礼式である。石川県に最初に孟宗竹を導入し、たけのこ産地の礎を築いた加賀藩士・岡本右太夫の遺徳を偲び、石川県産たけのこの豊作と有利販売を祈願する催しである。私は流通業者の代表として出席させていただき、以下の祝辞を述べさせていただいた。

祝辞

第55回たけのこ感謝祭にあたり、一言述べさせていただきます。本日のご開催、まことにおめでとうございます。

岡本右太夫翁が1766年に孟宗竹を導入されて以来、「石川県産たけのこ」は250年を超える歴史を紡いできました。筍の大規模な産地の北限として、また、加賀の伝統的な食文化を代表する食材として、代々・あまたの生産者が繋いで来られた歴史であります。さらに、農協関係者、市町村役場、流通関係者が手を携え、筍の生産と販売の環境を支えてまいりました。皆様方の日頃のご尽力に対し、心より敬意と感謝の意を表します。

 一方、面積の縮小と担い手不足により、生産量の減少に歯止めがかかっておりません。かつては、表年で優に1,000t、裏年でも500tを超える生産量がありました。しかし、昨年令和3年度は、裏年だったとはいえ、共販実績で歴代最少の170 tに落ち込みました。

 本年、先行する他県の産地は、寒い春が長く続いたために大きく出遅れ、1月から3月の累計では、数量が平年の約3分の一、単価は平年の約150%と少量単価高で推移しました。つまり、昨年の不作からこの春までの丸一年、石川県の筍好きの食卓に、筍が行き届いた実感がないのです。

ようやく、シーズン到来を象徴するこの日が来ました。表年の今年にかかる期待はとても大きいものがございます。小売店舗の筍コーナーはここに来て一気に広がってきた感がございます。

卸売市場を代表して、金沢・小松・白山・津幡、各地域の皆さまのご期待に応えるべく、これより全力を尽くして有利販売に努めることをお誓い申し上げます。そして消費の拡大と高単価の維持が、生産現場の日々のご苦労に報いるものとなり、生産意欲の向上、担い手の増加、産地の再興につながることを強く願うものであります。

結びに、石川県野菜園芸協会の益々のご発展を祈念申し上げまして、ご挨拶とさせていただきます。

令和4年4月15日

自ら動けば事態が動く

もう無理だ?限界だ?

忙しくてこれ以上は回らない、と感じる人は大勢いる。これ以上仕事が増えたらもうパンクだ、なんで俺ばかりこんな目に合わすんだ、と恨み節を上司あるいは会社にぶつける。しかし、たいがいはなんとかこなしてしまうものだ。確かにあまりに過度の負担を社員にかけてはいけない。そこは会社の責任である。だが、実は社員のキャパは現状より2~3倍もあって、本人だけが〝もう無理だ、限界だ〟と思っているケースの方が多い。

やるっきゃない時はやれちゃうもの

 かく言う私も、数数か月前よりも、仕事で負うている量+プライベートにおける雑事は2倍になった。余裕はないが、まぁ未だにメンタルもやられずなんとかやっている。段取りは格段によくなった。やはり人間、やるっきゃないに追い込まれるとやってしまうものなのだ。部下の手前もあるから、やせ我慢して全然平気のフリをしている。きついが、もしかしたら、この先自分は成長しているかもしれないと可能性を感じている。

とにかく動こう

とにかく動くことだ、書くことだ、作ることだ、話すことだ。悶々とすることが一番いけない。悶々とすることは、考えているようで実は思考が停止している(堂々巡りをしている)ことが多い。行動することで物事が進んでいく。何とかなると信じて、これからもやっていこう。私より若い社員たちよ。ますます負荷をかけてしまって申し訳ない。だが、私もこなすから、君たちも乗り越えてくれ。そして、共に得るものを得よう。

今時の固定電話

爺婆のため

 我が家に固定電話を増設した。私の親(父90代、母80代)専用である。父母が住まう1Fには従来の電話機の子機のみ置いていたが、受話口が小さくボタンも見づらく、高齢の父母には使いこなせなくなった。そこで大きな受話器、大きなボタン、押せばつながる短縮ボタンのついた超わかりやすい電話機が必要と判断し、契約回線も一つ増やした。いろいろ調べた結果、工事もいらず、基本料金も割と安いということで、携帯電話回線を利用した固定電話サービスにした。

長時間の手続き

 時代に逆行するような試みだったが、以上の事情で固定電話を入れることとし、手続きのためauショップに行ってきた。私の勝手読みでは、ショップに行って1時間程度ですべて手続きは完了、あとは専用機材を受け取って自宅に置けばそれで終了、とたかをくくっていた。その目論みは完全にはずれた。auショップで1時間半。結局窓口の兄ちゃんが最後に言ったのが、「本部の専門がご案内しますので〇〇〇-〇〇〇〇に電話してください」のまさかのたらい回しだった。仕方なくそこに電話した。込み合っているのか、つながるまでにまた30分ほど要し、オペレーターとの話もそこからさらに1時間かかった。都合3時間、手続きだけで時間を使ったことになる。心底くたびれた。今の世は本当に便利なのか。

結局私の契約

 この手続きが煩雑と感じるのは、私が歳を取ったからではない(と思う)。電話契約はチンプンカンプンの世界だ。妙に縛りも多い。父の名義にしたいというと、ではご本人様が窓口にいらっしゃる必要があります、ときた。90歳すぎた爺様にそこまでさせられず、結局私の名義にした。電話料金は私の払いだ。まあいいけど。

高齢者に不親切な世

 最近強く感じるのは、現代社会はどんどん高齢者に不親切な方向に進んでいるということだ。左手が不自由な母は、スマホなど使えない。父は小型化した子機では(おそらく耳にちゃんと当たってないのだろう)声が聞こえないと言う。結局、昔ながらの黒電話が一番わかりやすい代物だ。多機能、コンパクトは決して良いことではない。

ひよこ初体験

 人生60年近く経って、生まれて初めて「ひよこ」に行った。石川県金沢市菊川にあるステーキ専門店である。知る人ぞ知るお店だ。そして、大変美味しくいただいた。もう思い残すことはない(笑)。

「ひよこ」とは

 外見はプレハブ仕立てで8人くらいしか座れないカウンターのみ。外から見るだけではとてもここが名店とは思えない。見かけによらず…とはこのことだ。メニューも一品だけで、12,000円のヒレステーキだ。ライスもなし。とにかくステーキを食べる。それのみで58年続いてきたお店である。ネットで調べた情報で付け焼き刃の知識だが、創業は1964年2月とのこと。私が生まれて1年ちょっとだ。店主は林さんとおっしゃるらしい。80才を超えるおじい様だった。肉は黒毛和牛のヒレで、納得のいくものが手に入らないと店を開けないという話を聞いたことがある。

超近くて超縁遠い

 まさにこのお店一筋。私は物心つく時分から存在自体は知っていた。なんせ家からすぐである。今の家から歩いて10分足らず。その前のマンション住まいの時は歩いて1分だった。それなのに一度も食べる機会がなかった。予約はいつもいっぱいでなかなか入れないという先入観があった。それを縫ってまで食べに行こうとは思わなかったのである。

若きお客と老境の私

 今回、ポコっと時間ができたので、ダメ元で電話してみた。すると今晩2人だったら空いてますよという。次男坊を誘って行くことにした。息子め、まだ18才のくせにラッキーなやつだ。注文し、ビールを飲んで待つつもりだったが、思いの外あっという間に出てきた。息子はバクバク早いペースで食べ始める。おい、父さんはくつろぎたいんだ。もっとゆっくり食え、と言いながら私も食べる。その時、客は私ら二人だけだったが、後から若い女性3人連れが入ってきて横のカウンター席に座った。当然、程なくして同じステーキが出る。そして彼女たちはペロペロっと平らげ、私らよりも早くお店を出ていった。300gのステーキを一気である。この娘さん達がすごいのか、若者とはそんなもんなのか、はたまた私が老境に入ったからか、この時間差に少々驚いた。

ステーキを食べるという目的があるのみ

 噂に聞く以上にやわらかいステーキで堪能した。このお店は本当にペロペロっとステーキを食べるためのお店なのだ。社交の場ではなく、デートの場でもない。そして食事をする場ですらないと言える。肉を、ステーキを食べる場なのだ。ステーキを食べたいと思った者が純粋にステーキを食べることに特化したお店。それが名店の所以ではないかと感じた。こだわりが昇華した形である。そして私は念願の「ひよこ」を体験した。もう思い残すことはないのである(笑)。

世界で一番かわいい写真

15年以上前の写真

 この写真は私にとって、世界で一番かわいい写真である。左は長男、右は次男、5才と2才の頃と思う。連休に家族で旅行に行った時のスナップで、撮影したのは私だ。おぼろげに覚えている。

個性が出ている

 当時、長男は人を食ったというかひょうひょうとした性格で、反対に次男はごく子供らしい愛嬌のある子供だった。その二人の個性がよく出ていて、なおさらかわいい。おそらく私が今までの人生で撮った写真の中でのベストショットだ。他人が見ればただの普通の子供写真だろう。だが私の目から見ればこれは世界で一番かわいい写真なのである。

長らくぶりに発見

 いきなりこれをブログに出したのは、この写真が何年かぶりに見つかった喜びからであり、もう二度と手放さないぞという決意の表れである。ずっとどこに保存したかがわからなかった。デジタル社会は手軽で無限に写真を扱えるようになったが、「もの」ではなく「データ」になったおかげで所在がわかりにくくなった。ちょっとだけマメになって、カメラのキタムラでフォトブックにしていれば、とても良い思い出の記録が残せたのに。この十数年のわたしは本当に愚か者である。

過去への哀愁

 どこかに紛れわからなくなったと諦めかけていただけに、記録カードからこの写真が出てきた時は嬉しかった。人は過去の記憶を美化しがちだが、改めてのこの写真を見るとやっぱり世界一かわいい。今では二人とも体に剛毛をたくわえる若者になってかわいくなくなったので、子のかわいらしさを時々思い出すため、この写真を眺める。ほっこりする私は哀愁に浸るおっさんだ。

青果物の週間情報 【2022-W15】

■週の概況 第15週 4/11(月)~ 4/16(土)

【全体】

 春先の気温が低かったために、青果物の生育状況は遅れ気味だ。市場流通でこの影響は前年に比べ数量減少・単価高に振れる。昨年より物量は1割程度少なく、平均価格は逆に1割程度高いという印象。この週もスタートは同様の傾向だが、暖かさが戻り、数量は前年並みのレベルへ回復に向かう。単価は平均的に下がってくる見込みだ。地元石川県産の山菜、筍、果菜類が次々と登場している。特に筍はこの週に県内全域が出そろい、しかも表年である。今まで他県産が少量・単価高だったため、この週から一気の売り込みをかけたいタイミングとなる。
 果実は野菜に輪をかけて出方が鈍く、数量が非常に少ない。単価が高い状況だ。春先の生育期の低温により、冬の柑橘類から春の瓜類などへの切り替えが進まないのが一番の要因である。輸入フルーツもおしなべて少量傾向だ。イチゴやキウイが比較的安定しているので、もうしばらくこの2品に頼らざるを得ない。

【野菜】

 葉茎洋菜類では、レタスは端境期に差し掛かり減少し、品薄状況となる。ブロッコリーも端境期だが、例年より谷間が大きく減少レベルが大きい。このため価格は強い。キャベツ・白菜は増加し相場は下げに転じる。菜類では、ほうれん草は関東産の増加に伴い下げるが、前年よりは高値を維持する。
 果菜類では、茄子は4/17「よいなすの日」に各店で特売を企画しており需要が強く強含みである。胡瓜は低温の影響から出遅れ気味だったが徐々に増加し需要を充たす。トマトは不足感から単価が底上げを見せる。インゲンは各産地で増加傾向だが、前年を下回る入荷がまだ続く。季節商材の太胡瓜は3月の低温から数量が伸びずまだしばらくは品薄の印象となる。
 根菜類では人参は安定した入荷が期待できるが、太物の発生率は少ない。馬鈴薯は各産地で減少傾向、価格は上げの見込みだ。玉葱は愛知産メインの入荷となり、増量と共に価格は下がるが、前年より高値推移が予想される。筍は県外産に加えてJA金沢市産を筆頭に県内各産地が出そろう。入荷回数も増え数量は安定してくる見込みだ。

【果実】

 国内果実では、苺は前年並みの安定した入荷が見込まれる。メロン類では熊本産が生育遅れから前年を大きく下回る数量で、高値推移が続く。大玉西瓜は熊本産から、小玉西瓜は群馬産より入荷中で、共に前年より入荷は多い見込み。季節商材では、宮崎産のマンゴーが始まったものの、低温による肥大化遅れから数量減で、もともと高値の高級果実がさらに単価高に振れてつらい状況である。
 国外果実では、アボガドは天候不順による生育不良により減少傾向で価格は底上げとなる。キウイフルーツはゴールド系が安定している。ハネジューメロンは前年を上回る潤沢な入荷で、国産メロンの不足感から需要も高まり好調な販売が期待できる。

レビュー:連続テレビ小説「カムカふムエヴリバディ」

朝大河ドラマの大団円

 NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」が最終回を迎えた。朝ドラ史上初の3人のヒロインを起用し、母娘3代100年の物語を描いた。私は放送の開始前から大いに期待した。理由は二つある。脚本が藤本有紀氏であることと、二人目のヒロインが深津絵里であることだ。そして全話を観終わっての結論は、期待通りの『朝の連続大河ドラマ小説』であった。

脚本家 藤本有紀

 「カムカム~」以外は2作しか知らないが、私は藤本有紀氏のファンである。知っている2作とは朝ドラ「ちりとてちん」と大河「平清盛」だ。「ちりとてちん」はコメディチックで「平清盛」はメンヘラ群雄劇。あまりにも作風の違う2作を藤本氏は手掛け、両方ともに私はドはまりした。脚本家が同一人物と知って驚いたのは後の話である。ちなみに「ちりとて」も「清盛」も低視聴率だった。藤本氏は決してヒットメーカーではない。だがコアなファンが多いことで有名だ。

強引だけど全然OK

 カムカムは上記2作とは違って、視聴率は良かった。100年に渡る物語でテンポがすこぶる良く視聴者を飽きさせない。3代のヒロインを繋ぐのは小豆のあんこ、ラジオ英会話、時代劇「棗黍之丞(なつめきびのじょう)シリーズ」だ。伏線を広げるだけ広げ、朝ドラにしてミステリー要素も付加した。最終週にして若干無理を感じさせる伏線回収に、「強引すぎる」との批判もあったが、この程度の非現実性はドラマには全然OKだ。

川栄李奈も良かった

 川栄李奈はNHKに愛されている女優である。大作ドラマ抜擢が続いたが、今までは正直どこがいいのかわからなかった。それが今回ようやく良さを理解した。アップに耐える透明感、周囲からの仕掛けに素直に翻弄される純朴さ。主役を務めるのに必要な才を持つ女優さんだ。

ダメだし 私が演出家なら

 残念な点を二つ挙げる。一つ目はなんとか頭を捻って、深津るいと上白石やすこの共演をワンシーンでよいから実現してもらいたかった。これは演出構成上というより、役者的醍醐味論である。二つ目は第109話、森山アニーがラジオ放送中にカミングアウトをするシーン。5分に渡る深津絵里のドアップ長回しの演出だったが、惜しいことに何度かカメラの切り替えがあった。ここは最初から最後まで1カットで通して欲しかった。るいが「え?」となって「もしや」となって「すわっ」となって最後無表情で涙を流す。一切カットせずに魅せてほしかった。そして私が演出家なら、もっと極端な冒険をする。第108話の最後でアニーに日本語で「観ました」と言わせて一旦「to be continued」とし、第109話は冒頭から深津のアップで「観ました」から始まり、全編ドアップ、ノーカットで終了する。15分間ノンストップ長回し。しかも主役は終始無言だ! 実現していれば朝ドラ史上初かつ最後の演出となったことは確実で、話題性は爆弾級になったはず。5分の3倍、15分間のラジオモノローグは至難の業だが、それこそ藤本有紀の腕の見せ所である。そして深津絵里ならそれができる。これも役者的醍醐味論の話だ。良いクライマックスだったからこそ、さらに上ができたのではと感じた次第。さすが藤本有紀、さすが深津絵里であった。

耳栓と集中力

耳栓の効果

 この歳になって耳栓の良さを初めて知った。今までは、隣の人のいびき対策ぐらいの認識しかなかった。人間の体と音の関係はそんな単純なことではない。一言でいえば耳栓をすると集中力が格段にアップする。これは不思議な感覚だ。耳を塞ぐだけで、体と精神が丸ごと柔らかい膜に包まれ、外界から遮断されるイメージ。防音性が高いものを付けて初めて知る世界だった。

Moldexの耳栓

 米国の「Moldex(モルデックス)」が製造販売する耳栓は非常に安価で性能が良い。耳の大きさ、形は人に合わせ何十種類と用意されている。左右1セット(2個)で数十円程度で何度も使える。柔らかいウレタンの伸縮性に衰えが来たら交換すればいいだけだ。たかが耳栓と言うと叱られる。非常にコスパの高い、自己管理グッズである。

睡眠の質の向上

 耳栓をして寝ると睡眠の質が上がる。以前より目覚めた時の体調、スッキリ感覚が良い。多分に自己暗示があるかもしれないが、効果があると信じることは、効果が実際あるのとほぼ同義だ。

事業報告書でトライ

 私の悩みは気がそぞろになることだ。やらねばならぬ目の前の仕事に集中が続かない。
もし耳栓で集中時間が長引くのなら、こんなに嬉しいことはない。今は会社の決算書に附す「事業報告書」の文章を書かねばならない時期だ。いつもこれに難儀する。年齢とともに集中力が散漫になっている気がするだけに、今回は耳栓をして頑張ってみようと思っている。その首尾について、また報告しようと思う。

ワクチン3回目と社会サービス

FFF

 昨日、新型コロナワクチン3回目の接種を行った。ファイザー、ファイザー、ファイザーのFFFだった。3回目は多くの人が副作用に悩まされるが、私は打った左腕の肩が少し痛むぐらいでごくごく軽いものだった。巷で早くも4回目接種の話題が出ている。この狂想曲はいったいいつまで続くのだろうか。

差別の恐れありか

 いろいろなサービスで、ワクチン接種証明書を示さねばならないものがある。ワクチンを打った証明がないと、受けられないサービスがあるということだ。これは差別にならないのか気になる。ワクチン接種は義務ではない。個人の主義や健康問題で確信的に打たない人は数多く、そしてそれは決して悪いことではない。ワクチンを打ったならば、コロナにはかからない(正確には、感染しにくく、仮に感染しても重症化しにくい、というのがワクチンの現時点で認められている効果だと理解している)のだから、別に未接種者と同席しても被害を被るわけではない。対して未接種者は、イベント等で感染リスクが高まるものの、それは接種をしなかった自己責任ということで納得がいく。なのにサービスそのものを享受する権利を剥奪されるというのはいかがなものか。

非難されたくないから?

 自己責任か社会的責任か。コロナは常にこの問題を突きつけてくる。制度を決める側がいつも揶揄されるのは、〝世間と同調しなければ万が一の時に大きく非難される恐れがあるから〟というものだ。そこには原則論というものはあまりない。前例主義と右へ倣えがあるのみだ。