加賀野菜の問題点を考察する

市場のあり方検討会で座長を務めてくださっている藤島先生が「別件で」ということで来社された。

ある業界紙から、地域のブランド農産物の先進事例について原稿依頼をされているらしい。
先生は金沢の「加賀野菜」とそれを振興する「丸果石川中央青果」というテーマで書こうと思われ、取材にこられたわけだ。

うちを選んでくださったのはありがたいが、うちの貢献度は加賀野菜全体に対してごく一部分であり、決してメインの存在ではない。
加賀野菜は「金沢市農産物ブランド協会」という組織が事務局となり、農協、生産農家、市場(卸と仲卸と小売組合)、そして行政(金沢市)で委員会や幹事会を組織して運営している協同体である。

加賀野菜ブランドが京野菜に次ぐ知名度を獲得したのは、この運営体が機能し、さらにそれを取り巻く人々…青果専門店、料理人、新聞、テレビ、そして市民…が各々「我こそは加賀野菜を育てる担い手である」という意気込みとプライドを持ってきたことが大きい。
いわゆる「自分ごと」をみながそれぞれ持っていたということだ。

それをことさら説明したうえで、今の問題点も指摘させていただいた。

1)マイナー品目が守られていない
加賀野菜に認定されている品目は15品目あるが、生産者が一人、もしくは数人しかいない品目が多々あるのが現実だ。
数年前、加賀野菜の父・松下良氏がブランド協会委員会で「みなさん、マイナー品目をどうか守ってやってくれ」と発言された。
しかしそれ以来、何ら保護策は打ち出されなかった。
この一年でようやく動きが出てきている。
ブランド協会の小山内氏と田村氏のがんばりが素晴らしい。

2)加賀野菜のエリア問題
これは永年の懸案事項だ。
加賀野菜は金沢市がやっている農産事業だから、エリアは金沢市内限定である。
このため例えば加賀丸芋は加賀野菜の仲間には入っていない。
そして加賀野菜はほぼ金沢市農協の専売特許となった感がある。
これは長期的にみると発展性を自ら阻害していることにならないだろうか。
つるまめは小松市がしっかり販売しているからこその金沢つるまめ、という本家本元が傍流に支えられているという側面もあるのだ。

3)石川県の農業全般の衰退
石川の農業の衰退は、他県のそれより激しいと感じる。
元々農業産出額については零細な県なのに、その落ち込み方が激しい。
加賀野菜が農業全般を元気にしなければならない。

中央市場の在り方研究会が開かれた

金沢市中央卸売市場は現在地での建て替えが決まっている。
昭和41年にできて以来53年が経過した。
老朽化が激しい、というようりも今の機能では他市場と闘えない。
53年前の車と最新鋭の車とがレースしたらどうなるか考えればわかりやすい。

今日開かれたのは青果部門で、我が社と仲卸の理事、開設者、コンサル業者で、座長を東京聖栄大学の藤島廣二先生が務められた。

卸売会社の思わくと仲卸の思わくは違う。
さらに、開設者としても市場運営に一定の方針を持っている。
話し合いは紛糾することも十分考えられた。

しかし、予想に反して未来の市場へのコンセプトはかなりの合意を得た。

・新市場は一部閉鎖ではなく完全閉鎖型とする。
・卸売場、保管庫、配送施設、加工施設は隣接し、固定的な壁を設けない。
(スケルトン方式や間仕切り方式を
・保管庫、配送施設、加工施設は可能な限り共有スペースとする。
・賑わいゾーンは、卸売機能を優先して規模を決めてからの後の検討事項とする。

まだまだ課題は山積みであるが、早い段階での合意を形成したい。
再整備は時間がかかればかかるだけ市場間競争に不利となる。

山川みかんを園児の子どもたちにプレゼント

福岡県みやま市より市役所の松嶋市長、宮崎課長、その地にある南筑後農協より乗富組合長、栗原部長、立花柑橘部会長、加藤柑橘副部会長を金沢にお越しになりました。

目的は大きく3つです。
一つ目、「北原早生(きたはらわせ)」の初出荷に伴うトップセールス

二つ目、金沢にある保育園の園児たちに山川みかんをプレゼント

三つ目、テレビ金沢の番組のコーナーで山川みかんをPR

南筑後農協は“山川みかん”の産地です。
山川みかんと当市場のお付き合いは50年以上です。
この間ずっと山川のみかんは金沢ではトップブランドとして君臨してきました。

そして近年の話題といえば、「北原早生」の誕生です。
平成13年にみやま市のみかん農家、北原氏が原口早生の枝替わりを発見しました。
この樹に実るみかんが非常に色づきがよく糖度が高かったため、早生品種の切り札として大切に苗木を増やしてきたのです。平成21年に品種登録されました。

北原早生は食味が良いため、普通の早生みかんより高い値段で取引されます。
17日早朝の初競りでは、桐箱入り特秀品が1箱5万円でせり落とされました。

そして一行は金沢市杜の里にある保育園「田上保育園」に移動し、待っていた園児さんにみかんをプレゼントしました。
田上保育園さんは数ある保育園の今年の代表として選ばれたもので、みかんはここだけではなく、金沢市内の全保育園に配布されます。

休む暇なく、一行はテレビ局へ移動し、地元の番組に出演しました。
予定にはなかった松嶋市長も積極的に番組に出演され、熱弁をふるったそうです。

ファーム菜四季のご紹介

会社が昨年の平成30年(2018年)から始めた事業に農業参入があります。
子会社として農業生産法人「ファーム菜四季」を立ち上げました。

今、金沢市の河北潟に2町歩、能登・穴水町に4町歩の地面を借りて、直営農場としてカボチャを中心とする園芸作物を生産しています。

さらに、穴水町ではJAおおぞらと提携し、石川県のファンドを利用して5年間で25棟のハウスを建て、アスパラガスを生産する計画です。

青果の卸売会社が農業生産に進出したのには理由があります。
一言でいえば年々厳しさを増す流通環境を打開し、新たな武器を手にするためです。

市場同士の厳しい競争に打ち勝つためには、うちにしかない個性的商品が必要です。
それには地場農産物が一番わかりやすい。
うちのファームだけで十分な量を生産できるわけはありません。


しかし、モデルケースを作ることはできます。

この野菜をこう作ればうまく美味しく仕上がる、それをこの価格でここの小売に売ってもらう、という生産から販売まで一気通貫のモデル。
その成功事例を一つ作れば、それを近隣の農家や農協に広げていくことができます。
出来たものは本社が全量買い取れば、生産者は安心して作ることができます。

こういうコンセプトのもと立ち上げたのが子会社ファーム菜四季です。
でも、農業の難しさというものを最近、骨身にしみて感じています。

思いもよらない病気の発生、天候不順は当たり前のように襲ってきますし、作付け計画を立てたはいいけれど実際にやってみると現有人数ではとてもこなせない、といった問題にも直面しています。

うちの農場で採れたブロッコリー、食べるととてもおいしいんですが、その裏には数限りない失敗の繰り返しがあるんです。

台風19号の農産物被害について

台風19号は死者60人超、河川の氾濫47以上の大災害となった。 当然、農業と物流にも甚大な影響を及ぼしている。

キャベツの大産地、群馬県の嬬恋村では、複数の道路が土砂崩れで寸断され、出荷が二日間ストップした。 長野県は千曲川が氾濫し、北陸新幹線の基地が水没したが、このあたりはりんご園が多数ある地域で、全滅の憂き目にあった生産者が多数いる。 栃木はイチゴの栽培が盛んであり、生育中の苗がかなりの数ダメになったと聞き及ぶ。

自然災害が起こると、その翌日から「被害状況はどんなですか」という問い合わせが卸売市場にも殺到する。 一番(よく言えば)熱心に、(悪く言えば)しつこく聞いてくるのはやはり報道関係だ。 新聞、テレビである。 それは彼らの仕事であるから聞いてくるのは当然だ。 こちらもわかっている範囲で誠心誠意応える、あるいはそうするよう社員に指示する。

しかし、報道関係者を満足させられるような説明はまったくできない。 それだけの情報がまだ集まっていないからだ。

台風一過の日に、被害はいかほどか、と聞かれてもわかるはずがない。 まだ現地の人間は畑にすら入れてないのだから。

被害の程度の大きい人は、自分の命を守るのに精いっぱいの場合だってある。 そういう被災者に、ジャンジャン無責任に電話などできない。

ある程度のことが判明するにはやはり最低でも一週間程度はかかるのではないだろうか。 幸い北陸地方は被害らしい被害は出なかった模様だ。 今回は関東・東北のダメージが甚大だ。

しかし流通というのは回り回って全国に波及するというのもまた事実である。 当市場は栃木県から直接イチゴが入ってくることは少なく、愛知県がメインである。しかし、栃木に大被害が出たなら、いくら愛知が大丈夫であっても全国レベルで供給がひっ迫し、結果的に当市場も十分な愛知県産イチゴを確保できなくなる。相場も上がる。

まだまったく不透明な段階であるが、これから色々な品目で影響は出てくる。しかも長期的に。さらに、20号、21号の卵が発生しているという。 まったく読めない。 でも、だからこそ、青果物流通のプロが社会に必要となるのだ。

市場人は、自分の力で情報を集め、自分の力でそれを咀嚼しなければならない。

にわかラグビーファン日記(5)

昨晩の興奮が冷めやらぬ。

日本28-21スコットランド

日本代表は史上初、4連勝でワールドカップのプール戦を堂々一位で終了し、ベスト8進出を決めた。

1)にわかポイント1
まず、試合を決行したことが何より素晴らしい。
台風19号で開催すら危ぶまれた。
もし中止となれば規程で引分けとなり、日本は闘わずして決勝トーナメントに進めたが、その展開を期待するのは日本人のメンタリティーではない。
たとえ大敗し、4年前の悪夢を再び繰り返すことになったとしても、試合は開催してほしかった。
運営スタッフの陰の奮闘努力に賛辞を送りたい。

2)にわかポイント2
 ラスト20分はまさに死闘と呼ぶにふさわしい内容だった。
後半、28-7から2トライを返し、さすがスコットランド、28-21まで迫った時、まだ20分以上の残り時間があった。
結果的にこの後、両軍1点も取れずに試合は終わる。しかし、試合が膠着したわけではなく、息をもつかせぬノンストップの攻防が続いた。
大男が大男を吹き飛ばす。
崩れてもつれたところに大男達がさらに何重にもぶつかり、ラックをめくり上げていく。そのド迫力たるや凄まじの一語だった。
最後、ラックから出たボールを山中が蹴り出した瞬間、一気に歓喜が押し寄せた。
この緩急の激しさはラグビーの真骨頂だ。

3)にわかポイント3
 稲垣がトライを決めた。
代表7年間で初めてのトライだった。
彼は試合後のインタビューで、台風19号に被災した人々を気遣うコメントを発信した。
なんと知的で情感に富むことか。
ラグビー選手にはインテリジェンスを感じることが多い。

台風19号で感じた、敢えて言う、よかったこと

10月12日から13日にかけて関東から東北に上陸した台風19号は未曽有の大災害をもたらしました。
金沢はまったく大丈夫でした。
なんと恵まれた地であることか、と申し訳ない気持ちがわいたほどです。

しかしわりと近い場所では大変なことになっています。
例えば長野県では千曲川が大反乱しました。
北陸新幹線の車両基地が水没した映像はとてもショッキングです。

明日から、全国の農産物の産地にお伺いをたてることになりますが、かなりの被害があるでしょうし、今後の青果物流通は大きな混乱に見舞われることになります。

「これまでに経験したことの無いような大雨」
「少しでも命が助かる可能性の高い行動を取ること」

ここまで危機的な言葉で政府、報道機関が警戒・避難を事前に促したことは記憶にありません。
そして、それが実際に誇張でない規模の災害だったことも確かでした。

これを受けて交通機関はいち早く運休を決定し、主だったイベントも中止を告知しました。

おそらくこれでたくさんの事故が防がれただろうし、人命も数多く救われたと思われます。

台風15号が激甚災害に指定された矢先のことで、今の日本の防災体制の脆弱さに不安になりますし、この先日本、地球は大丈夫なんだろうかと怖くなります。

しかし、東日本大震災の原発処理にまつわる大失態以来、しかるべき機関や首脳に対する不信感ばかり増大していただけに、今回は人智に関して少し明るい光が見えたような気がしました。

そんなのんきなことを言っていられるのも台風被害に直接遭っていないからには違いありません。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

恩人逝く 安らかならんことを

10月9日の晩、大切な方が逝ってしまった。
私にとっては恩人である。

20年前の1999年3月、故郷金沢に帰り、丸果石川に入り、最初に預けられた部署「果実二部」の部長でいらした。

現場で直接私を指導してくれたのはその下の課長だったが、ちゃんと遠巻きに見守っていてくれた。
それが当時ペーペーだった私にもはっきりとわかった。

入社時、「ここは朝が早い仕事や。時に寝坊する時もあるやろう。でも絶対に焦って来てはいかん。運転はいつも以上に注意してこい」とおっしゃった。

私は入社後すぐに結婚し、子供もその1年後に産まれたが、ご夫婦で病院に(きったない国立病院だった・・・)にお祝いにきてくださった。

私は入社した年はきちんと4時半に出社した。親の顔をつぶせないという私なりの意地だったが、数か月経った時「けいすけ、お前は感心や」とその方は言った。毎日決まった時間に出社するだけの大したことないことだが、そう褒められて無性にうれしかった。

「市場には活気がなくちゃいかんとよく言われる。しかし、活気って本当になくちゃならんのか」。
典型的な市場人たるこの方からこのセリフが出たときは驚いた。
そして、その後の私の卸売市場を考える際の基本スタンスを変えるきっかけとなった。
あったり前と思い込んでいる常識を疑うこと。常に一歩踏み込んで考えること。
なぜ・なぜ・なぜ・・・の問い掛けを繰り返し投げかけることの大切さを知った。

初めて物を売らされた時、まったく引き合いがなく売れ悩んだ。
「あきらめずに最後までがんばって売るのは大事なことや。ほやけどしょせん人(荷主)のもんやと思っとけばいい」と言ってくれた。
下手すれば無責任と思われそうなアドバイス。
しかしこれは名言だと思う。
私は楽になった。背負いすぎるとつぶれるのが人間だ。そうなれば元も子もない。
しょせん人のもんや。
このセリフはその後、私の口から何人かの後輩に伝えることになる。
(真意が伝わらず、無責任な上司と思われただけに終わってなければよいが。)

現役終盤、明らかに様子がおかしかった。
年相応の衰えをはるかに超えて老いが目立った。
あれだけちゃきちゃきに元気だった方が全く精細を欠いた。
目に生気が失せた。
専務、どこか体調お悪くないですか、との問いに、「うん、今度の人間ドックでしっかり見てもらおうと思う」とおっしゃった。
そんなレベルの問題でないことは明らかだった。

独断で金大病院の知り合いの先生を頼ったら、脳神経科の先生を紹介してくれた。
その話をしたら「わしゃ、そこで診てもらう」と即座に言った。

綿密な検査を経て、PSP(進行性核上性麻痺)とわかった。
パーキンソン病ではないか、と疑っていた私の読みは近かったことになる。

退職時には何を理解し、何がわかっていないのかも定かでないほど無表情・無反応になっていた。
2016年6月、会社最後のお勤め日(株主総会をもって退任退職)、皆から花を贈られ、「一言どうぞ」と振られたが、一言も発することなくすーっと歩いて部屋を出て行かれた。
もう何もかも感じなくなってしまったのかと正直哀れに思った。
が、そうではなかった。
最後にお見送りした者が言うには、駐車場に行きついた時、号泣し始めたというのだ。
わかっていたのだ。
悔しかった、無念だった、悲しかったにちがいない。
表情には出ていなくても、すべてわかっていたのだ。

退職されてから、現役時代によく使っていた飲み屋に挨拶に来たそうだ。
その時「けいすけが金大病院を紹介してくれて、そこで今診てもらってる」と言ったそうだ。
そんなことも覚えていてくださった。
私は恩師に何も恩返しできなかったが、その部分だけはお世話出来たかなと思う。

師から習ったことは、人間の情のありがたみだ。

安らかにお眠りください。

つば甚で芸妓さんと金沢の食文化体験

一級品のお料理と芸妓(あか利)さんの舞

昨日は珍しくハードな一日でした。

金澤市場人錬成塾の東京研修で起床4時、金沢着が17時30分、そして解散後に老舗料亭の「つば甚」さんに直行しました。

この日は毎年つば甚さんが開催している「金沢芸妓さんと伝統芸能でお遊び」の会食会が開かれます。18時30分開会でした。

私はずっと、その会の存在すら知りませんでしたが、今年は私が理事を努める「石川四季の会」の合同企画となったため、それでは行かんわけにはいかんだろうと思い立ったわけです。

本当は今日と明日と二回開かれるのですが、今日が東の芸妓、明日が西の芸妓さんなので、私としては長唄でお馴染みの東の芸妓さんの日を選んだ次第です。

会費は1万7000円で、一般庶民としては「うえ~」という思いが正直ありました。
しかし、この日同席していただいた鈴野夫妻によると、このお料理、この趣向でこの価格はとてもとてもリーズナブルだそうです。
ちょろいお財布感覚で恥ずかしい限りです。
金澤の食文化を堪能するのにそれなりのお代がかかるのは当然のことです!

つば甚の川村浩司料理長はまだお若いですが、金沢を代表する料理人です。
研究熱心で、加賀野菜にも造詣が深い。
こうした会に出てくる食通達を満足させられる数少ない料理人のお一人ですが、それでも毎年この時期は気が重いそうです。
この日は100人のお客さん、明日も同じくらいです。
大変なプレッシャーと闘っておられるのですね。

私は東の芸妓さんは大体知っていますが、向こうで私のことを知っている人は一人二人ぐらいだろうと思ってました。
でも、一番に唐子さん、次に真砂美さん、かつ代さんが気がついて声をかけてくれました。
芸妓さんには鈴野ご夫妻と記念撮影してもらい、周囲にちょっと「通ぶり」を見せつけることができてうれしかったです。
見栄っ張りです(汗)。

唐子さん
かつ代さん

あか利ちゃんには私から声をかけて同様に記念撮影しましたが「誰やこのおっさん?」と心の中で思っていたかもしれません。

誰もが体験できるというには少し敷居が高いかもしれませんが、楽しく奥ゆかしい2時間でした。
これも金沢です。

金澤市場人錬成塾二日目

研修二日目は本丸の豊洲市場視察です。

市場が一番動いている時間帯を見なければ意味がないということで、早朝4時半にホテルを出発しタクシーで豊洲市場へ行きました。

世紀のすったもんだがあった後、豊洲が開場したのが昨年2018年の10月11日でした。
なんとこの日はちょうど一年が経過する節目の日でした。

築地市場は水産では日本一、いや世界一かもしれない卸売市場でした。
それを受け継ぐ豊洲市場です。
マグロのセリはさすがに圧巻でした。

全館閉鎖型となってコールドチェーン機能が強化されたのが豊洲移転の一番の利点で、なによりも商品の劣化が抑えられるようになりました。
定温保冷は卸売市場にとって一番大切なハード面での機能だと常々思っています。
金沢市場の再整備においても、とにもかくにもシンプルかつ効果的なコールドチェーンを追及すべきです。

卸売場および2階事務所スペースのゆったりした広さに比べ、何百とある仲卸業者店舗の狭さに驚きました。
歩く隙間もないくらいに商品が並べられています。
このギャップな何なんでしょう。
推測ですが、設計段階でここらをあまり深く検討しなかったのではないでしょうか。
青果に比べ、水産はあまり業者間の意思統一が進まず、結果的に行政まかせになったと聞きます。

続いて青果の卸売場を見学しました。
今回は青果の卸売業者・東京シティ青果さんには総務部の青木部長さんにお知らせしたのみで、私どもが来訪していることは開設者以外ご存じないだろうと思っていました。
しかし、現場視察中に針替会長がお通りになり、ご挨拶することができました。
おそらく針替会長は青木部長から聞き、知らぬ体を装いながらわざわざお越しくださったのではないかと思います。
私には昔から本当にやさしくしてくれる方でした。

青果売場で特徴的なのは、シティ青果が独自で作った自動ラック倉庫です。
たしか700パレットが収納できる定温倉庫です。
前回来た時は稼働率が40%。
夏場の需要が期待されましたが、初年度は結局フル稼働しなかったそうです。

使用料は実需者です。
新しい市場の元では、卸売業者から使用料を徴収する以外に、川上・川下のユーザーからも料金を徴収する形を整備しなければいけないと感じています。
自動ラック倉庫の利用に預け主が料金を支払うことは、川下が市場使用料を支払うことにほぼほぼイコールです。
このやり方がペイしてくれることを願っています。

市場は新しくなったので、当然、入場者の市場使用料は高くなってしかるべきですが、従来のまま据え置きです。
これは、東京都内の公設卸売市場はどこも同額にするという決まりによるものです。
豊洲の業者にとっては大きなメリットですが、市場運営の面から考えると微妙です。
行政の補助金が他の市場よりも豊洲に巨額に投じられているのは確実でしょう。
市場運営は市民の生活のために必要で、だから赤字運営に行政がお金を投じるのは当然、と割り切ることはとても重要なことだと思います。
ただ、他の市場とのバランス、公平性ではかなり議論の余地があります。
また、当地金沢はそれではいかほど開設者からの資金援助を受け入れてよいかを考える上で、豊洲の経営実態を知ることは今後非常に重要だと感じました。